●危うく人を傷つけるところだった

今も昔も、統合失調症は生きるのが容易な病ではない。古代からこの病気はあったというし、日本でもつい最近まで精神分裂病という名だった。社会の偏見も強い。そして実際、患者は事件を起こす。それもとんでもない事件を。その一方で、狂って死ぬケースもある。さらには将来を悲観した親に殺されることも。どれを取っても悲劇だが、私は人を殺しかけた。

誰をって、灘さんをである。

職場でしょっちゅう席を立ち、コーヒーを大量に飲んでいた私は、ストレスとカフェインと病の初期症状で、夜眠れなくなっていた。その頃すでに朝は6時に起きる習慣がついていたため、フラフラで出勤していた。簡単な事務とはいえ、すでに統合失調症を発症していたため仕事にならない。それがより、周囲を苛立たせ、幻聴を加速させたようだった。

さらに、私の仕事は伝票を他部署へ物理的に回送する役目が割り当てられていた。仕事中、ほかの部署にそっと入る。すると笑い声がどっとあがる。「あの子は同性愛の噂があって!」ともどこからともなく聞こえてくる。お気づきだろうか。この時点ですでに統合失調症は始まっており、すべて幻聴の可能性があった。しかし私には知る由もない。ただビクビクしながら嘲笑の中、伝票を持って職場の建物をうろうろしていた。

今ならわかる。

私は自分が人類史上最悪の病になったことを、灘さんのせいにするつもりはない。ただ、彼女は恥ずかしかったのだ。妙齢でこれから婚活もあるだろうに、エリート勢揃いの正社員と恋だってあるかもしれない。だから、強く、強く、否定しなければならなかったのだ。噂を。

席に戻るたび嫌味を言いに立ち上がる灘さんを、私はいっそ仕留める方法を考えていた。しかし、家賃に事欠く身の上、包丁やカッターナイフを新調する家計がない。それに田舎の両親を思い出した。母はいつも、「お前は優しい子」と言ってくれた。それに派遣社員が正社員を職場で”やって”しまったら、間違いなく報道される。”乱”である。親に迷惑がかかる。

私は”祭り”になるのが嫌だった。だからずっと耐えていた。そうしたら、今度は事態が逆転し、私が殺されかけたのである。誰に?それまで会ったことも見たこともない、意外な人にである。