「この大戦争は一部の人達の無知と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。
どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。
僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。
僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。」
--小林秀雄「座談 コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」昭和21年2月「近代文学」

僕は、終戦間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしない、
悧巧な奴は勝手にたんと反省すればいいだろう、と放言した。
今でも同じ放言をする用意はある。事態は一向変らぬからである。
反省とか清算とかいう名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮は、いよいよ盛んだからである。
そんなおしゃべりは、本当の反省とは関係がない。過去の玩弄(がんろう)である。
これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続している様に、文化という有機体の発展にも不連続というものはない。
自分の過去を正直に語る為には、昨日も今日も掛けがえなく自分という一つの命が
生きていることに就いての深い内的感覚を要する。
従って、正直な経験談の出来ぬ人には、文化の批評も不可能である。
--小林秀雄「吉田満の『戦艦大和の最期』」昭和二三年六月『サロン』

後知恵で魔女に石投げして免罪符を得た奴を見て
「そうだそうだ」と我も我もと石を投げる「知識人」だの「文化人」が何だって?