【名言】5次資料693氏抜粋

>先史研究では資料の要素が少ないがゆえの苦労がありますが、
>ここで話題の南京は70年程前のことですよ。
>文字資料の残存は豊富で、証拠と成り得るモノが消滅した割合も少ないでしょう。
>「証拠を示せ」と言われ、その証拠に疑問が提示されれば、堂々と反論なさればよい。
>根拠のない推論ではなく、他の資料との組み合わせで。
>できないならば、通常、自論に疑問が生じるはずです。
>
>自論の証明とは客観性を獲得することです。
>資料の解釈を1つの方向に揃えてしまえばいいわけではありません。
>読み取れる事実1つ1つの組み合わせから構成されるものが論ですから、
>論者のみに自明の論では、無意味というよりもはや滑稽、
>客観性を獲得する為には守らなければならない姿勢があるのです。


【名言】4次資料947氏

>疑問を取り除いたとは、自論に資料の解釈を近づけることですか?
>論は、資料の解釈から形成されるものです。逆なのです。
>根拠とする資料を提示しない姿勢を度々非難されています。
>また、提示した資料について矛盾などを指摘され、
>その矛盾点を解消しないままに再び根拠として提示するなど、

ついでに
★716 名前:K−K@南京事件資料集[KKnankin@netscape.net]
 根拠無く、専門家の見解を否定するのであれば、それはトンデモ論と言わざるを得ないでしょう。
 あなたが何か主張したいのであれば、それなりの根拠を提示しなければ説得力はありません。
 それが出来ない以上、議論に決着がついたと考えるべきかと思います。