(社説)ソ連参戦75年 問われるスターリン観 2020年8月11日 5時00分

 第2次大戦末期、ソ連軍が日本への攻撃を始めてから、おととい9日で75年を迎えた。

 ソ連の対日参戦をめぐる歴史的な評価は日ロ間で大きく隔たっており、
平和条約交渉の行方にも影を落としている。
 広島での原爆投下など、日本にとって戦況が悪化するなかでのソ連の参戦だった。
当時の日本は米英との仲介をソ連に期待していたが、その望みを断ち、降伏を決定づけた。
近年、ロシアが連合国勝利への貢献として強調する歴史である。

 だがソ連の参戦は米英との合意に基づいていた一方で、
当時まだ有効だった日ソ中立条約には違反していた。
 日本が8月14日にポツダム宣言受諾を表明し、9月2日に正式に降伏文書に署名した後も、
ソ連軍は攻撃を続けた。当時日本領だったサハリン南部や
千島列島、北方四島を占領したことは、今も解決できない領土問題を残した。
 日本が支配していた旧満州などの日本兵ら約60万人がシベリアなどに連行された。
過酷な環境で約6万人が命を落とした。
 日本の無謀な侵略と戦争継続が招いた帰結とはいえ、
領土の拡大や武装解除後の兵士の抑留は、連合国が当時掲げていた原則にも反していた。(続く)