外国から誤解され続けているスウェーデンのコロナ対策
2020年08月09日 朝日新聞デジタル
https://webronza.asahi.com/science/articles/2020080400010.html

強力すぎる制限はどこかで解除し、長期型対策にシフトしなければならない。
この軟着陸に世界の多くの国々が苦労し、感染の再流行の気配すら濃厚になっている。それは再度の規制を意味する。
対するスウェーデンは、「少なくとも夏まで続けられる」「ほぼ確実に12月まで延長となる」規制を始めから模索した。
高校・大学は再開するし、旅行自粛の勧告も緩めた一方で、交通機関の混雑解消に向けた新たな勧告もある。
公衆衛生局の要望のもと、スウェーデン鉄道(JRのようなもの)は予約座席占有率を65%(3席並びのうち2席だけ使える)に落とした。

そもそも全ての外出にリスクがある。例えば子供の交通事故を考える。
死亡リスクも重傷リスクもコロナよりも高いはずだが、だからといって外出や登校を禁止にはできない(コロナではこの愚がスウェーデン以外でまかり通った)。

先日、向こう1年の犠牲者数の予測として2200人(1100〜4400人、死因の2%強)という予想が出たが、反響はほとんどなかった。
行動制限が引き起こす犠牲(失業者の短命化、精神圧迫など)として予測される桁と同じだからだ。
インフルエンザが蔓延した場合の超過死亡も1000人単位だ。対策の遅れで犠牲が6000人になってしまったが、この先はもっと少ない。だから現在の方針が支持されている。

スウェーデンで高い犠牲が許容される根底に、延命処置を嫌うという欧州全体の考え方がある点も見逃せない。
助かる確率が低く、かつ運良く助かっても余命が少ない人に、どこまで医療リソースを注ぐかは、福祉国家を成り立たせる上で避けては通れない問題だ。
この「最適化」のシステムを「命の価値の判断だ」として糾弾するのは易しいが、それを楯に全ての人間に最も高価な治療を施せば、
そのコストを支える分だけ人々を貧乏にして、経済的弱者の寿命を削る。

このバランスをどこに取るかは全ての福祉国家の課題だ。
日本で未だにタブーの問題だが、これを避けていては「経済と健康のバランス」「許容できる犠牲はどこまでか」というコロナ特有の課題には答えられまい。

犠牲者数は多いが、それでも国民に支持されつづけているスウェーデンの対策の根底にあるロジックには学ぶべき点が多い。