「菅政権」のコロナ対策――よみがえる田中派の血脈
8/8(土) 9:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/892aec74f26f46edc773a8ceda9cd1c4ec8d3159

キャスターの質問に対する受け答えは、各省庁に目配りが効利いたもので、
批判を覚悟で、この国の政治の現実に責任を取るという気持ちがにじみ出ていた。

菅官房長官の露出度急増とその言動には、新型コロナウイルスへの対策を中心に、すべての政策に責任を取る覚悟が感じられ、
逆に首相の存在感が薄れて、もはや「菅政権」ではないかというほどの空気が流れていたのだ。

菅の政治の師匠は梶山静六だ。田中派の重要なメンバーで竹下派になってからは七奉行の一人とされた。
「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」といわれたのはそのころで、その梶山の愛弟子が、コロナという大乱世の舵取り役として浮上しているのだ。

政治家に「カリスマ型」と「参謀型」がいるとすれば、菅は明らかに参謀型である。
安倍晋三はその血筋からもカリスマ型で、そのカリスマと参謀のコンビが当初はうまくいっていたのである。

実力ある参謀型政治家はみな田中派の血脈を受け継いでいる。
右派(国家主義)とか左派(民主主義)とか保守とか革新とかいう「理念の集団」ではなく、
多くの官庁と官僚を掌握して総合力を発揮する「現実力の集団」であった。

菅は、滅多にないほどの苦労人である。
秋田県の高校を卒業したあと、集団就職で上京し、段ボール工場に勤め、働きながら2部の大学で学んだという。
政治家秘書として実力を養い、多くの官庁に人脈を築き知識を積み上げてきたが、その分野は戦前の内務省の管轄領域をカバーしているように思える。
つまり菅は、大久保利通以来の内務省型政治家であり、明治以来の日本という国の政治風土の中核に位置するといえるのかもしれない。