ベトナム賠償協定
日本はサンフランシスコ講和条約(1952年発効)14条において、ビルマに1224億円、フィリピンに1980億円、インドネシアに803億円、南ベトナムに140億円の賠償義務を負った。大戦中の日本軍侵略の賠償金であった。
ベトナムは共産主義国(北ベトナム)と資本主義国(南ベトナム)に分裂していたが、サンフランシスコ講和条約に調印した南ベトナムに対しては、日本は賠償責任を負った。1958年、サイゴンで賠償協定に署名し、1960年1月12日に批准書が交換されて協定は発効した。賠償協定の正式名は「日本とベトナム共和国との間の賠償協定」であり、1960年から5年間にわたり、3900万ドルの賠償として、生産物と役務を供与する義務を負った(当時は1ドルが 360円)。この賠償協定とともに借款協定が結ばれ、日本輸出入銀行が南ベトナムに750万ドルを低利で貸し付けることになった。
日本の賠償と借款は、北ベトナムと戦う南ベトナムのゴジンジエム政権を経済的に支援するのがねらいであった。しかし、日本やアメリカの膨大な投入資金はゴジンジエム政権を腐敗堕落させ、ベトナム戦争勃発の一因となった。