菅長官にぶつけられた「怒り」

県民葬は午後2時から始まることになっていた。私は、東京からの始発便で那覇に飛び、その足で式場となった県立武道館へと向かった。

午前11時ごろには到着し、「少し早く着きすぎたかな」と思ったが、すでに式場の周辺には参列者が集まり始めていた。

入場時刻になるまで、何人かに話を聞いた。小中学校で翁長さんと同級生だったという男性、どうしてもお礼が言いたいと石垣島から駆けつけた親子、友人同士でやってきた人もいた。彼らは口を揃えて「翁長さんが沖縄をひとつにしてくれた」と話す。

翁長雄志という県知事の存在が、沖縄にとってどれだけ大きなものだったのか、ひしひしと伝わってきた。私もまた、この政治家に同じような思いを寄せてきた。

開式の数時間前から、会場近くには参列者が集まっていた=2018年10月9日午前、那覇市の奥武山公園
式が始まると、黙祷に続いて、翁長さんが「期待する人物」として名前を挙げ、このほどあった選挙で当選した玉城デニー新知事が式辞を読み上げた。翁長さんが普及に取り組んできたウチナーグチで式辞を締めくくると、会場には拍手が響き渡った。

続いて登壇したのが、菅義偉官房長官だった。式場内はなんともいえない緊張した空気に包まれる。私は、翁長さんと菅長官の間のあるやり取りを思い出していた。

新基地建設反対の民意が重ねて示された後も、菅長官は「粛々と工事を進める」と繰り返していた。知事に就任した翁長さんは「粛々と進めるという発言は問答無用という姿勢が感じられる。上から目線の言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ怒りは増幅する」と苦言を呈した。

その後、菅長官は「粛々」のことばを封印するが、少なくとも私には「上から目線」で「問答無用」の姿勢は改められることはなかったように感じられる。

首相の代読というかたちでの追悼の辞の終盤、菅長官は「基地負担の軽減に向けて、ひとつひとつ確実に結果を出していく決意であります」と読み上げた。直後、「嘘つけ!」との声が飛んだ。

最初の声に呼応するように、次第に会場中から「民意を尊重してください」「心にもないことを言うな」「帰れ」などの声が大きくなり、それらは1分以上続いた。