日本は、1941年12月8日の真珠湾攻撃に際し、対連合国開戦の戦争大義として1)「自存自衛」と2「アジア解放」を掲げた。自存自衛とは、主に米英からの経済圧迫に対し自力で対抗する必要に迫られたこと。アジア解放とは、第二次大戦当時にタイ王国を除くほとんどすべての地域が欧米列強の植民地か自治領であったので、有色人種である日本が、この欧米人における植民地支配からアジアを開放する―、という名目である。

 当時日本は、日独伊三国同盟に加盟し、1940年にフランスがドイツに屈服したことから、親独的中立政府であるヴィシー政権(南仏)と協定を結んで、フランス領インドシナ(仏印=現在のベトナム、ラオス、カンボジア等)に進駐した(1940年北部仏印、1941年南部仏印進駐)。これにより、アメリカは日本が太平洋方面に領土的野心を持つとことさら警戒し、くず鉄や原油の輸出等に厳重な規制を設けた。当時、鉄や原油のほぼすべてをアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、アメリカの経済制裁は死活問題であった。しかし、「アメリカの経済制裁が気にくわないから」という理由だけでは対米開戦としての大義は弱いので、日本は対米開戦にあたり「アジア解放(大東亜戦争)」をスローガンに掲げたのである。