158のつづき

●「日本のインターネットの父」村井純教授も登場
小説ではその後、裁判所を舞台に警察や検察との攻防が展開する。場外では、金子さんをマッドサイエンティストに仕立てたいマスメディアという敵も迎え撃たなければならなかった。
そうした中、徐々に金子さんが壇弁護士に心を開いていった様子が伝わってくる。
金子さんは壇弁護士にジョークを飛ばすようにもなっていた。京都の街でパトカーを見かけた金子さんは、「あ、乗り慣れた車が停まっている!」とのたまう。壇弁護士は「彼のネタはブラック
過ぎて笑えないことが多かった」と書いている。
公判では、Winnyについて技術的な立証が懸案だった。そこで、証人として登場したのが「日本のインターネットの父」として知られる慶應義塾大学の村井純教授だ。
打ち合わせで村井教授は、「その理屈だったら、日本にインターネット引いてきた俺が幇助じゃん」とバッサリ切り捨てたという。その豪胆な証言はどのようなものだったか、ぜひ小説で読んで
ほしい。
しかし、残念ながら京都地裁の一審では、金子さんに対して有罪判決が下された。この時、壇弁護士は自身の弁護戦術が「力不足」だったことを認めている。
「心は折れまくりですよ。誰でも無罪を取れる事件で有罪をとったヘボ弁護士とか2ちゃんねるで言われるし」
小説の後半は、壇弁護士がこの裁判にすべてを賭けていく様子が描かれる。
壇弁護士は、大阪の町工場を営む家に生まれた。大学生の頃、父がある優れた機械を開発したが、取引先の会社に特許を奪われてしまった。契約違反だったが、法に無知だった父には弁護
士を依頼する費用もなかった。父はつらそうな顔を見せたという。
これが、壇弁護士が司法への道を選んだきっかけだ。技術者のために戦おうという信念から、一審の判決以後は、金子さんの裁判を「この事件は私の事件ですから」と口にするようになって
いた。
●Winny事件が残したものとは?
続く、大阪高裁で2009年10月、逆転無罪の判決を見事勝ち取ったことは、すでに読者が知るところだ。
勝訴の速報が流れ、壇弁護士の携帯にはお祝いのメールが次々と入った。SF小説「銀河英雄伝説」に登場する最強の用兵家、ヤン・ウェンリーになぞらえて、「ダン・ウェンリー」と呼ぶ人も
いた。
「後にも先にも、涙を流したのはこの時だけでしたね」と壇弁護士。その後、検察が上告したものの、2011年12月に最高裁が上告を棄却、永かった裁判は幕を閉じた。
壇弁護士はこの裁判を今、どう振り返るのだろうか。
「刑事弁護の世界では、実務の運用が変わりました。著作権侵害幇助の容疑では、なかなか逮捕されにくくなりました。以前は困ったら幇助で逮捕、だったので。ただ、今は共同正犯(共犯
者も同じ罪に問われること)で逮捕が増えたので困っています。
一番良い影響は、技術者の方たちが、もう警察や検察には何もしゃべるなということをわかってもらえました。あっちはわかってくれないということをわかってくれた。刑事事件の弁護をやりや
すくなったと思います。
Winny事件は、特別な事件でもあり、毎日起きている酷い事件の一つでもあります。これくらい理不尽な逮捕はしょっちゅう起きています。たまたま金子が、何も知らず、最後まで戦ったから
こそ、大きな事件になったわけです」
現在、ITと法律に関わる問題を多く手がける壇弁護士。気になる動向があるという。
「一つは、ITに関する刑事弁護として、コインハイブ事件ですね 。あっちは、一審判決が無罪で、高裁判決は逆転有罪なので反対ですが、構造がWinny事件とよく似ていていますよね。
刑事司法がWinny事件から何も学んでいないのがよくわかります」