>>12の続き

 次に症状が出たのは、東京に戻った翌日、14日でした。朝、熱を測ると38・8度。
周囲の勧めで3月中ごろからパルスオキシメーターを持ち歩いては、血中の
酸素飽和度を測っていましたが、それまでは異変がなく、沖縄のホテル入り口の
検温でも平熱だったので、本当に急でした。

 それでも、新型コロナウイルスへの感染が疑われるのは「37・5度以上の熱が
4日続いたら」だと思っていたので、まだ様子を見ようと考えていたら、妻の理子が
「とんでもない!」と言って、帰国者・接触者相談センターや保健所、伝手のある
病院など、100回以上も電話をかけてくれたんです。僕の顔色が明らかに悪かったので、
危ないと思ったそうです。ありがたかったですね。

 とはいえ、公的機関には電話が全然つながらず、医師からも「解熱剤を飲んで
様子を見てほしい」と言われるばかり。結局、僕が懇意にしている順天堂大学
医学部附属順天堂医院の先生に連絡し、診察の約束を取りつけました。

 妻の運転で順天堂に行き、パルスオキシメーターで酸素飽和度を測り、CTスキャンを
受けましたが、酸素飽和度は90%まで下がり、CTでも明らかに肺炎の症状が
見られたので、即入院です。その後、PCR検査を受け、翌日に出た結果は陽性。

 入院して4、5日経った真夜中、脈拍が160まで上がったことが一度だけありましてね。
看護師さんには「大丈夫です」と伝えながら、妻のメールに、小2になる息子の理汰郎
宛ての遺言を送りました。

 結果的に持ち直しましたが、そのときはICUの目の前まで行ったようで、退院時に
看護師さんから聞いて驚きました。5月19日に病院に行き、あらためて医師と話すと、
僕が入院したとき、肺の状態がかなり悪く、「もしかしたら、もうダメなんじゃないかと
思った」と言われました。その後、僕が持ち直したのは、驚きだったそうです。