従順の強制は許されない 命と自由をともに守ろう  専修大教授 山田健太

 潮目が変わった、と言うべきだろう。2週間前までは自粛しなくても大丈夫と外出していた人も、
つい数日前までは布マスクに文句を言っていた人たちまでもが、
一気に、世の中は「一刻も早い緊急事態宣言発令を」
そして「この国難の時に政府批判して何になる」という状況に変わったからだ。

 もちろん感染まん延防止のため、うつさない、うつらないように、各自が家にとどまることが
有効な対処法であろう。しかしそれと、宣言を求めることや、それを含めて政府の言うことにはみんな
我慢して従おう、というのは別の話だ。この「前のめり」と「従順の強制」は、厄介な問題を引き起こす。

 社会としての健全さを維持しつつ、今の状況を乗り切っていくためには、
個々人が思考停止に陥って、不安や恐怖心の中で、全体の空気にのまれるのが一番怖いことだ。
従わないものを異端視して、差別の対象にする事態も既に生まれている。
 自粛の要請によって、既に私たちはさまざまな我慢をしてきている。
出掛けるのを諦め、音楽や舞台を見に行くこともできず、多くの図書館での新聞閲覧も中止になった。
しかしここで失ったものは、移動の自由、学習の自由、表現の自由、思想・良心の自由といった、
私たちが戦後の憲法下で大切に守ってきたものばかりである。(中略)

 あえて言うが、為政者は一度手にした権力を手放さないものだ。
いったん、個人の自由を制限する権利を有すれば、
それはどんどん広がる可能性はあっても、元に戻すのは至難の業だ。
私たちの日常を管理・監視・制限することを、公権力に与えるその第一歩が緊急事態宣言である。
形式的には強制力がないようには見えるが、その法的な意味は限りなく大きい。

 コロナ禍を克服しても、民主主義社会が壊れてしまっては意味がない。
命と自由をトレードオフするのではなく、どちらも守る闘いが、今、始まっている。

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