0118日出づる処の名無し
2020/05/06(水) 14:34:05.14ID:2VDFXLhM国民の生命を脅かし、経済にも大きな打撃をもたらす。その危機の深刻さを訴える狙いがあるにしても、
新型コロナウイルスへの対応を「戦争」と例えることに、政治家はもっと慎重であるべきだろう。
米国のトランプ大統領は「戦時大統領」と名乗り、中国の習近平(シーチンピン)国家主席は
この闘いを「人民戦争」と称した。フランスのマクロン大統領も「我々は戦争状態にある」と述べた。
確かに、医療現場では、まさに「戦場」のような過酷な光景が繰り広げられている。
それでも、いま起きていることは、あくまで公衆衛生上の緊急事態であり、
それに伴う経済、社会の危機である。武力による国家間の争いなどではもちろんない。
危機を強調することで自らの求心力を高め、国民の自由や権利を制約する措置にも
理解を得たい。そんな思惑を抱く政治指導者もいるのだろう。
歴史を振り返れば、「戦時」には情報や言論の統制がつきものだ。
民主的手続きはないがしろにされ、重要な決定が独断でなされることもある。
だがコロナ禍を乗り越えるには、できる限りの情報開示と、各分野の専門家の意見を踏まえた
透明な意思決定、そして国民の納得ずくでの協力がカギを握る。
でなければ、時々のリスクや影響を正確に評価し、適切な対策をとるのは難しい。
「戦時」となると、国民の団結が有無をいわさず求められ、隊列を乱す者は糾弾される。
個々人の立場や事情を慮(おもんぱか)ることも、理を尽くして説得することもなく、
批判や排除の動きが広がれば、社会に亀裂が走り、幅広い連帯は失われてしまう。
立場の弱い人が犠牲を強いられてはいけないし、ウイルスをむやみに「敵視」することが、
感染者やその周辺への差別を助長する恐れもぬぐえない。
ドイツのシュタインマイヤー大統領は先月、国民に向けたテレビ演説で「感染症の世界的拡大は
戦争ではない。国と国、兵士と兵士が戦っているわけでもない。私たちの人間性が試されている」と語った。
互いに協力して事態を克服する道を探るのか、それぞれが孤立し、独走する道を選ぶのか。
そう問いかけ、人と人、国と国との連帯を呼びかけた。
長期化が予想され、出口の見えない危機にあって、複雑な現実を勇ましい言葉で覆ったり、
緊張を高めて分断を深めたりしてはならない。それはむしろ、解決への道を遠ざける。
ひとびとの生命と暮らしを守る確かな行動を促すため、
冷静に考え抜かれた言葉こそ、政治家に求められる。
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