あー、やっぱりそうなのねえ。

【正論5月号】WHOが示す中国国連外交の野望 産経新聞パリ支局長 三井美奈
https://www.sankei.com/life/news/200405/lif2004050001-n1.html

(抜粋)
WHOは、基本的人権としての「健康」を最高水準に高めることを目標に掲げ、約七千人の職員を擁する
専門家集団である。なぜ、一国に偏向するようになったのか。

 WHOのムードを象徴する事件が、1月22、23三日に開かれた緊急委員会だった。ウイルス感染
拡大に対し、「緊急事態宣言」を出すか否かが争点だった。
 「中国大使の『恫喝』で、見送りが決まったのです」と語るのは、WHOを長年取材するフランス人の
医療ジャーナリスト、ポール・バンキムン氏だ。緊急委員会は、各国の専門家15人とアドバイザー6人に
よる非公開会議。議事は紛糾し、異例の2日間に及んだ。いつもなら、委員会の開催前にあらかた合意ができている。

 委員会にはテドロス氏の判断で、感染国の中国、韓国、日本、タイの代表が状況説明のため2日目の
協議に招かれた。バンキムン氏によると、中国代表はその場で「中国では強力な感染封じ込め措置を
とっている。非常事態宣言など問題外だ」と一喝した。気まずい沈黙が漂った。アフリカやアジアの
専門家は中国に追随し、「やはり時期尚早だ」と言い出した。米欧組は不満を示したが、結局、
「宣言見送り」が決まったという。

 中国とテドロス氏の関係は少なくとも、20年以上前にさかのぼる。エチオピアは1970年代に
帝政が倒れ、ソ連の支援を受けた社会主義独裁、メンギスツ政権が発足した。この後、内戦が続いて、
「飢餓大陸」と呼ばれた時代があった。テドロス氏は「必要な薬がないために兄弟を亡くした」と、
当時の惨状を回想している。

 医学生だったテドロス青年は、エチオピアの反政府左派ゲリラに加わった。彼の組織はやがて、
「エチオピア人民革命民主戦線」の主要勢力となり、中国や米国の支援を受けて1991年、
メンギスツ大統領を倒し、政権に就いた。現在なら奇妙に映る「米中相乗り」だが、当時のアフリカでは
東西冷戦と並行して中ソ対立の構図があった。テドロス氏は新政権で保健衛生政策に携わり、
やがて保健相に就任。続いて外相を務めた。