東南アジア侵攻から始まったアジア太平洋戦争
 日本の海軍機動部隊がハワイの真珠湾を攻撃したのは、一九四一年一
二月八日の朝三時二〇分(日本時間)だった。普通は、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったと言われている。しかし、本当にそうだろう
か。実は陸軍の精鋭部隊はマレー半島の東北部のコタバル沖に到着し、この日の一時三五分に舟艇に乗って発進し、イギリス軍との戦闘の中を
二時一五分上陸を開始した。真珠湾攻撃に先立つこと一時間余り、このマレー半島上陸作戦によってアジア太平洋戦争の口火が切られたという
のが、歴史の事実なのである。
 では、なぜ東南アジアのマレー半島なのか。日本は中国への侵略戦争
に行き詰まっていた。そして、中国から撤退せよというアメリカの要求を拒み、石油や鉄の供給を止められてしまった。日本はあくまで戦争を
続けようとし、そのために必要な資源を確保するために東南アジアに目
を付けた。石油をはじめスズ、ニッケル、ボーキサイト、ゴムなど重要
な資源の宝庫だったからだ。ここを占領すれば、資源に困ることなく戦
争を続けられると日本の軍部や政府は考えた。
 ところが、フィリピンはアメリカ、マレー半島やビルマはイギリス、インドネシアはオランダの植民地だった。これらの国々と戦わずに東南
アジアの資源を手に入れることはできない。ここに日本がアメリカやイギリスを相手に戦争を始めた理由があった。つまり東南アジアを占領し
そこから資源を獲得することこそがアジア太平洋戦争の最大の目的だっ
た。
 東南アジアの軍事経済のかなめがシンガポールであり、まずここを占
領する必要があった。しかし、シンガポールには強力なイギリス軍がお
り、難攻不落の要塞といわれていたので、日本軍はマレー半島の背後か
ら攻撃することにした。そのためにマレー半島の東北部から上陸したのだ。他方、真珠湾を攻撃したのは、米海軍に打撃を与え、アメリカが東
南アジア方面に出てこれなくするためだった。
 日本軍は半年のうちに東南アジア全域を占領した。一九四三年五月御前会議は、現在のマレーシアとインドネシアの地域を「帝国領土」とし
「重要資源の供給源」とすることを決定した。もちろんこの決定は国内
外の人々には秘密だった。表向きは「アジアの解放」を唱えながら、実際には日本の領土にするか、形ばかりの「独立」を与えて実質的に日本
が支配することを考えていた。