コロナ禍はパラダイムシフトの契機か
4/25(土) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200425-00010004-wordleaf-soci

ロックダウンという言葉で先手を取り、国に緊急事態宣言の決断を迫りながら、都独自に営業停止を要請し、補償政策を打ち出している。
元キャスターだけに発信力は抜群である。「選挙目当て」という批判もあるが、選挙を考えない政治家はいない。
都民も国民も、しっかりした政策によってこの難局を乗り切ってくれれば、何目当てだろうとかまわないのだ。

一方、安倍首相の言葉には力強さが感じられない。「日本式」とされる「クラスター対策」の専門家は頑張ってくれてはいるが、もはや現実に追いつかなくなっているように感じる。
ようやく出した感のある緊急事態宣言も強制力のない自粛要請に過ぎず、休業補償はなく、給付金は二転三転である。
菅官房長官との不仲なども漏れ伝わり、どうも首相の姿に孤独の影が漂っている。

中央集権的工業社会からの脱却

現在の日本は、ものづくりに特化した「工業社会」として精密化し、社会が成熟し、制度が複雑化しているが、逆にそれが足かせになって、
インターネットを基軸とする「情報社会」への転換が進んでいないように見える。技術の世界では、輝かしい業績を上げた優秀な技術者が、
大きなパラダイム(広範な科学や技術のベースとなる理論とシステム)転換に置いていかれるというのはよくあることだ。

キャッシュレス化も、テレワーク化も、オンライン教育も、掛け声ばかりでなかなか進まない。上司が残っていれば残業し、有給休暇は取りきれない。
相変わらずの、新卒一括採用、終身雇用、年功序列。会社にいるだけで仕事をした気になる「集合の安心」があり、孤独にチャレンジを続ける「個人の挑戦」が弱い。