初陣の「逆風選挙」でも在日が支援
晋三が初めて立候補したのは、自民党が下野した1993年の衆院選である。
地元では晋太郎の系列だった県議が反旗を翻して対立候補となり、突然の逆風に見舞われた。
そんな中でも、父の代から安倍家を支えた在日は晋三の応援を続け、
経営するホテルの従業員とともに「エイエイオー」とエールを送った経営者もいた。
「あの時は、秘書や支援者の一部も反対陣営に回った。在日の義理堅さは有難かったでしょう」(地元紙記者)

地元の在日の間で、晋三の人柄に対する評判は必ずしも悪くはない。

「孫の披露宴には、札幌から駆け付けてくれました。本当に義理堅い人です」(アリラン食堂の鄭さん)
「国籍や民族で、分けへだてする人じゃありません。在日の人ともフランクに付き合っていますよ」(安倍事務所の関係者)

もっとも晋太郎の時代と比べると、晋三と在日の付き合い方には変化も見える。前出の在日2世のパチンコ店経営者がいう。
「晋太郎さんと父たち在日1世の時代には、政治家との付き合いに対する世間の目も大らかだったんです。
外国人献金がどうのと、あまり細かいことはいわなかった。ところが今では、10万円や20万円の献金でも叩かれる」

とはいえ、晋三の周辺から、在日人脈がまったく消えてしまったわけではない。
晋三の下関にある地元事務所は、
晋太郎の後援者であった在日系企業・七洋物産の子会社から今も借りているし、
晋太郎の助力で業績を伸ばした在日の水産業者は、晋三の代になっても支援を続けている。
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