人権や法が緊急事態に優越するところでは、物事の優先順位はクリアになり、最悪の状況の中でも市民の生命と生活を守ろうとする合理的な政治が成立する。
人権を欠いている権威主義体制では、その合理性は市民に対して過酷なものとなってしまうかもしれない。

 日本は、安倍政権下のここ数年間で、人権を守らねばならぬという意識も、権力は法に従わなければならぬという意識も、両方が失われた。
そして権力者と従順な臣民しかいなくなったところでは、決断能力を欠き右往左往し、あるいは「遅らせる者」として、ひたすら現実逃避するだけの無能な政府が残る。

 緊急事態宣言は出されるのかもしれない。しかし、たとえ宣言が出されたとしても、それによって我々の生が権力に従属するわけではないし、政府が信頼に足るものになるわけではない。
我々はいかに迂遠な道だと思われたとしても、人権や法の理念を再び取り戻さなければいけない。そうでなければ、コロナウイルスにかかって死ぬより、政治によって殺される確率のほうが高いからだ。

【北守(藤崎剛人)】
ほくしゅ(ふじさきまさと) 非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu1982