ハリーといえば

両親が日本統治下の朝鮮半島から海を渡ったのは、1939年ごろだった。
父張尊禎(チャン・サンジュン)さんは財産整理のため戻った故郷で病死し、
母朴順分(パク・スンブン)さん(85年に83歳で死去)は4人の子と異境に残った。運命の45年8月6日は広島市の自宅で迎えた(略)
進学した地元の高校に甲子園出場の芽がないと悟り、張本さんは願い出た。「大阪の浪商に行かせてください」。母は金銭面から渋る以上に、子どもとの別離を嫌った。
世烈さん(ハリーの兄ちゃん)がその間を取り持った。当時25歳。タクシー運転手だった。乗務の時間を増やし、月給の半分に近い1万円を大阪の弟に仕送りし続けた。
自身の甲子園出場はかなわなかった張本さんだが、58年にプロ野球・東映と入団契約を結んだ。新聞紙で包んだ200万円の契約金を、張本さんと世烈さんは広島まで夜汽車で運んだ。「これで家を建ててください」。封も切らずに、母に差し出した。
https://mainichi.jp/articles/20200221/org/00m/040/001000d
注意:中程にハリー姉ちゃんが亡くなる下りがあるので閲覧注意