>>601

「近代」は「現代」以前の昔のことではない。今、我々がしている服装やコミュニケーションを
取っている言語、知識を伝える教育、生活を拘束する法律、ひいては美的感覚の体系も
近代の枠組みの中にある。すべて「モダン(modern・近現代)に」生きているということだ。
だが、人々はみな、我々が完成させた近代を、日本が国権を強奪して前近代に戻したと
考えている。これに異議を唱えた瞬間、「植民地近代化論か」と攻撃される。
近代性と植民地性に対する混同は韓国近代史の永遠の足かせであり、罠だろう。・・・

韓国の文化遺産を近代の視線で評価できる朝鮮人の美術史学者は、日本帝国強占期の
半ばを過ぎたころから輩出され始めた。解放後、韓国美術史研究を新たな次元に高めた
高裕ソプ(コ・ユソプ)が最初だ。彼は1920年代に京城帝国大学法文学部で哲学と美学を
専攻した際、東京帝国大学出身で日本の美学の主流を継承した上野直昭に師事した。

高裕ソプのような朝鮮の人材が京城帝国大学から1000人近く輩出された。
彼らは韓国現代史の主役になった。大韓帝国がそれだけの近代的な人材を輩出していたら、
石窟庵は韓国人によって発見されただろうし、国も滅びなかっただろう。

小説家・金東仁(キム・ドンイン)は「構想は日本語でするが、書くのは朝鮮の文字で書いた」
と言った。『弱き者の悲しみ』を書いた1919年ごろの回顧だ。帝国主義時代の日本が韓国の
文化遺産を近代の基準で評価している時、韓国の知識人は自分の内面にあまりにも速く
浸潤してくる「日本の近代」に困惑していた。・・・
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/01/03/2020010380027.html


朝鮮日報、よくぞ書いた。
そう書いた以上、文カルトは朝鮮半島に於ける前近代への回帰だと指摘せねば。