石窟庵に関する私の知識と言えば、世界文化遺産であるという事実と、日本がセメントを
塗ってメチャクチャにしたという俗説を知っている程度だった。そうした時、朝鮮末期の
石窟庵の姿を冊子で見て、頭の中が混乱してしまった。それは荒れ果てた城の跡と
同じくらい崩れた入口や積み重なった石の廃虚だった。

石窟庵に関する本や論文を読んで、次のような事実を知った。
まず、『三国遺事』(13世紀末の史書)から朝鮮時代後期まで400年間に亘り、我が国の
記録に石窟庵は登場しないことだ。石窟庵を文化遺産だと考えていなかったのだろう。

第二に、石窟庵を発見し近代的に復元したのは日本だったことだ。
ここで言う日本とは、朝鮮を支配した統監府と総督府のことだ。

第三に、石窟庵を世界の名作だと評価し、近代文化遺産に高めたのは日本人である
ということだ。今日の我々の石窟庵に対する認識は、日本の美術史学者・柳宗悦の評価
「永遠なる傑作」から抜け出せていない。1907年から1919年までの間に起こったことだ。