以前、フランス革命後の恐怖政治や、ロシア革命後の恐怖政治が生まれた原因の一つに、
それらの思想の原点にあるルソーの社会契約論にあり、
社会の主体的意志という曖昧な概念を革命の指導者の意志としたからではないか?
そう言う説があったが。

民意を、朝日岩波的な進歩的知識人や進歩的文化人の意志としていると仮定すると、
選挙結果を民意ではないと発狂する理由がよく分かるな。

社会の主体的意志 -> 民意 -> 朝日岩波的知識人の意志

先にあるのは粛清と恐怖政治なんだが、まあ扇動力も洗脳力も失い消えつつ有るのが幸いですが。