>>42 >>43
亀レスですみません。
91年にビナツボ火山の噴火時には帰国していて、TVで懐かしきアンヘレスの惨状を見ました。
その後に渡比した際は、前日から小噴火を起こし空港を出たら目がゴロゴロ鼻水ズルズル状態でしたw
デルピラールは閑散としており最後まで残っていたNew Bankok?やオーストラリアンクラブのドアにも
木の板でバッテンが打ち付けられていました。何とも寂しい気分になったもんでした。
その後パサイに移った数軒で、例の場所で細々と営業していましたが、売り手市場だったのか?
どの店も接客が強気な態度には、、、引いてしまいました。
その時分サンタクルスに有ったマンコ屋も同じ運命で、地元警察によりドアにはバッテンが・・・
今思い返せば、アレは時代の流れだったのか?時間は掛かりましたがエルミタも変わってきましたし
国の恥を晒す地区が玄関口から無くなったのは、ピノイのプライドだったのかも知れませんね。

KTVやVideokeは地方でも一般化していますが、何処が不健全な店か見極めが難しく始めて行く田舎では
何かと情報を集めるのに気ぜわしくなります。個々の行政により全く「不健全」を許可しない場所も有り
NetやSNSを使いこなせる時代は「検索」も楽になりました。