●対明侵攻作戦(「秀吉の唐入り」)

★★第一次侵攻(文禄の役1592年-1593年)★★
04月12日 第一陣1万9千人700隻により対馬から出港(小西隊)。翌日朝鮮領釜山に上陸。
04月17日 第二陣2万2千人により対馬から出港(加藤隊)。この後も続き最終的に14万人上陸。
05月02日 漢城(現ソウル)落城(上陸から3週間)
05月29日 高麗首都開城落城(2ヶ月かからず)
07月31日 朝鮮半島全域を占領
01月07日 反撃してきた明軍と交戦。李如松軍・朝鮮軍の計二万余名を破る。
04月08日 明側と和議(朝鮮は貧しく食料調達が難しかったため)。休戦。

★★第二次侵攻(慶長の役1597年-1598年)★★
02月21日 動員令発効。
07月16日 漆川梁(釜山市近く)海戦。朝鮮水軍全滅(160隻以上)。
09月07日 稷山(ソウル市南50km)の戦い。明軍後退。
12月22日 明軍蔚山城(釜山市北30km)を6万で強襲で敗退。包囲戦に切り替える。
01月03日 日本軍援軍(毛利)到着し2万の損害を与えて救出。
     この後は6万を残し7万は帰国。翌年の攻勢に備える。
08月18日 秀吉死去
09月初旬 明朝鮮11万が3方から日本軍根拠を攻撃。が、全て敗退。
10月下旬 日本国内混乱のため帰国命令。

「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、
百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)
が死去するに至り乱禍は終息した。」(『明史』)