「いまあらためて発掘成果と『倭人伝』の記述を対照していくと数多くの共通点が浮かびあがってくる」。
冒頭、筆者は記す。吉野ケ里には、倭人伝が描写する「宮室・楼観・城柵」に相当する建物群がある。
甕棺墓(かめかんぼ)で見つかった戦闘の犠牲者の人骨は「倭国乱れ、相攻伐する」との記述に符合する。
奈良の纒向(まきむく)遺跡の登場で畿内説は勢いづくが、筆者は九州説を曲げない。


=2017/03/26付 西日本新聞朝刊=