日本語が西欧の言葉と言語の構造や単語がまるで違うのが最大の原因だろう。

イタリア語とフランス語は親類。
英語とフランス語も半分。
ドイツ語と英語もある程度近い。

しかし中国語と日本語はまるで別だし、
日本語とロシア語ももちろん違う。
日本語に少し近いのは朝鮮語ぐらいじゃないか。

言葉の構造や論理や単語が近いものほど
学習も翻訳も容易なのは当然だ。

日本人なら、関西人ではなくても
ある程度練習すれば、大阪や京都の言葉を
だいたい真似ることができる。
日本も明治以前は、小国の集合体で
藩ごとに異なる国として統治されて
いたのだから、ヨーロッパに事情は
似ているとすれば、ヨーロッパの
言語事情もそんなものを程度を
少し上げただけなのじゃないだろうか?
もう一つの可能性は、頭が馬鹿だと
多国語を学習できない傾向があると
すれば、多国語を学習できる人間は
頭が良くみえるということだ。

肝臓などに障害を持っていて
不健康な人が身体がコーヒーを受け付けずに
コーヒーを飲みたがらないのを、
コーヒーを飲むと人は健康になれると
解釈する間違いと同じかもしれない。
知的好奇心の少ない馬鹿は、多言語を
学ぼうとする動機や意志や能力が無い
だけのことかもしれない。何しろ
違う言葉は単語がやたらにあるからね。

日本人だってもしも漢字を覚えないで
済むのだとしたら、その分の記憶能力
や学習の努力を別のことに振り分けられた
りしたかもしれないが、そのかわり
文化を失ってしまう。