>>1の高め方はこういう種類に通じるとおもうが、それとは別に真の天才といえる発想するのがいるとおもう


ニュートンは、その著書『プリンキピア』の中で、次のように書きました。
「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。
・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」。
彼にとって科学研究とは、"神の真理"を追究することだったのです。
また、相対性理論を生み出し、二〇世紀最大の科学者と言われたアルバート・アインシュタイン博士も、「私は、神の天地創造の"足跡"を探していく人間である」と語ったと伝えられます。
聖書は、次のように述べています。「神の目に見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められる」(ロマ一・二〇)。
大自然の持つ美しさ、偉大さ、崇高さは、その奥におられる創造者の美しさ、偉大さ、崇高さの現われである、というのです。
宇宙は、きわめて美しく整った物理法則・化学法則のもとに、秩序正しく運行しています。宇宙の理を究めようとする者は、誰でもその美しさと荘厳さに、魅了されることでしょう。
アインシュタイン博士は、「宇宙の法則は、数学的美しさをもっている」と語りました。
また、イギリスの数学者で偉大な理論物理学者であるディラックは、「神は、非常に優れた数学者であられ、宇宙を造る際に、極めて高度な数学を用いた」と書いています。
一九二七年にノーベル賞を受けたアメリカの科学者アーサー・ホリー・コンプトンの言っているように、「秩序正しく広がっている宇宙は、『はじめに神が天と地とを創造した』という、最も荘厳な言葉の真実さを証明するもの」なのです。
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/kagaku02.htm


ブラームスは彼の創造のプロセスについて語っている。
ベートーベンがそう実感したように、私たちが創造主と一体であると実感することは、不思議な、畏怖の念を起こさせる体験である。
これまでその実感に至った人間はごくわずかであり、それゆえに、さまざまな分野で人間が努力してきたにもかかわらず、偉大な作曲家や創造的天才が出現することがほとんどなかったのである。
私は作曲を始める前にはいつも、これをひたすら観想した。するとすぐに、私の全存在をワクワクさせるバイブレーションを感じる。この高揚した状態では、ふだんの心的状態のときには曖昧であったものが明瞭に見えるようになってくる。
そうなったとき、私は天上からインスピレーションを受けることができるのを感じる。
そして、私の心の目に主旋律がはっきり見えるだけでなく、その主旋律にはそれにふさわしい形式、ハーモニー、編曲が与えられている。
稀にしか起こらないがそのようなインスピレーションを受ける心的状態では、一小節また一小節と、完成した作品が私の前に見せられていく。
そのようなことが起こるには、半恍惚状態になっていなければならない。つまり、顕在意識の心が一時的に停止して、潜在意識が主導権を握っているような状態である。
インスピレーションは、全能なるものの部分である潜在意識の心を通ってやってくるからだ。
真の天才は、ミルトンやベートーベンがそうであったように、英知と力の無限の源泉を利用している。
私の見解では、まさにそれが天才の天才たる所以なのだ。ゲーテ、シラー、ミルトン、テニソン、ワーズワースのような偉大な人物は、宇宙の無限のエネルギーにつながっていたので、宇宙から永遠なる真理のバイブレーションを受けていたのだ。
私の作曲の中で存続していくであろう主旋律は、すべてこのようにして私のところにやってきた。それはいつも実に素晴らしい体験であった。
その体験をするとき、私は無限なるものと調和しているのを感じている。それに匹敵するほどの感動はほかにはありようがない。
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