天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ
ブラームスは保守的で、新しいことをやらない、才能のない作曲家なのに、現代に至る〈クラシック音楽〉の基礎を作った。そこが凄いのだ。
実感するのは、「どうしてオーケストラって言うのは、こんなにブラームスばっかりやるのだろう」ということ。そう呆れてしまうほど、ブラームスの演奏頻度は多い。
言ってみれば、校長先生の訓辞みたいな…内容があると言えばあるけど、おもしろみがないと言えば言える…という音楽なのだが、アマチュアでもプロでも安心して演奏できるクラシック音楽の基本の基本がそこにはある。

確かに「天才」の凄さは一目瞭然だが、ブラームスはその逆。全く一目瞭然でない地味なところから、100年間にわたってじわじわ効くボディブロウを叩き出す。
考えてみれば、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの三大Bは3人とも(生まれつきの天分に恵まれた…という意味での)「天才」とはほど遠い、後天的かつ結果論的な「巨匠」。むしろ、天分に恵まれなかったことで生涯ジタバタし通しだった印象の方が強い。

音楽をさらさら作曲する天才に「その曲はどうやって作ったんですか?」と聞いても「自然に頭に浮かんだ」とか「空から聞こえてきた」というような返事しか返ってこない。
ただし、音楽にしろおしゃべりにしろ、愉しんでいる分にはいいのだが「生業」にする場合、この「自然に頭に浮かぶ」ことほど怖いものはない。なぜなら、浮かんでこなくなったら、おしまいだからだ。

16歳デビューの直感がそのまま30歳40歳まで続くことは、まずない。今まで直感でぺらぺらしゃべっていたものが、実は「主語と述語」だの「動詞と形容詞」だの「敬語」だののシステムを持っていることに気付く時が来るからだ。
その時「自分がどうやって音楽を生んでいるか」という基本が自分で分からないことになると、これは一転して大いなる「不利」になることがある。

その証拠に、この種の天才少年は、多くの場合、ピーク時の直後に大きな壁に直面し、その際に早死にしてしまうか、その後才能を枯渇させてしまうことが実に多い。肉体的精神的な「壁」に突き当たる。
8歳で交響曲を書き作曲家として大活躍しながら35歳で夭逝したモーツァルト、そのモーツァルトの再来と騒がれ十代からオペラのヒット作を連発しながら37歳を境に引退したロッシーニ、
あるいは歌曲や交響曲やソナタなど膨大な名作を残しながら31歳で死んでしまったシューベルト、作曲に指揮に教育に秀でながら38歳で急死したメンデルスゾーン……

一方、ベートーヴェン少年やブラームス少年はそこまで「いいとこ坊ちゃん」で育ってはいない。ベートーヴェン青年がようやく「作曲家」という道の入口に辿り着いたのが30歳。ブラームス青年が「交響曲」の世界に踏み込んだのは40歳過ぎ。

天才型作曲家の系譜は、前期ロマン派を境に途絶えてしまう。そして、その後といえば、幼少の頃はさほど音楽一途でなく、20歳過ぎてもさっぱり才能の片鱗を見せなかったような怪しい経歴の「天才」が俄然多くなる。
確かにスタートは遅いが、一旦道を定めるとその吸収力が驚異的なのも共通項。ほぼ数年で最低限の音楽の基本はマスターしてしまい、基礎に縛られないぶん革命的な理想に燃え、下積みの苦労を経て20代後半か30歳近くなってようやく楽壇に登場。その後は明確な個性を持って音楽界に作品を提供し続ける。

こういう作曲家たちをモーツァルトやシューベルトのような才能と一緒に「天才」の一言で括りたくない、と言うのが本音。全く違ったベクトルの才能だからだ。 
かくして、この種の「戦略家」たちが跋扈し始める時代以降、もはや無垢な「天才」たちに出る幕はなくなったとも言える。そして、ブラームスはそんな時代を象徴する「天才ではない巨匠」なのだ。
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