こういう発見の時、7000年前の群馬の山奥に住む縄文人と朝鮮人が直に貿易していたと
普通、勘違いするじゃん。
でも、本当は朝鮮が隣の対馬と物々交換して、対馬が近くの福岡と物々交換して、それが
近くの集落沿いに転々と瀬戸内海を渡って近畿にやってきて、みたいに何百年かかけて
群馬まで来たと思うんだよ。
これを、縄文時代にアジア大陸と何らかの交流があったっていうのかね。
隣の村と交流があっただけで、バケツリレーみたいにきただけじゃんね。