>>39
まず、かつての「発展段階史観」みたいに世界のどの地域でも同じような発展段階をたどるという意味での
「中世」は、私には認めがたい。

だから、日本での「中世」という限定をしたい。

まず、日本の「古代」は弥生時代に形成が始まった鉄器時代的なサプライチェーンを基盤とした共同体が存続した時代、
という風に考えている。ただし、弥生時代は鉄器時代的な社会ではあるが金属器の出現は紀元前10世紀に弥生時代の開始から
600年ほど下ってから、というのが現代の考古学的な最新知見ではある。

この「古代」的な共同体は古墳時代に成熟期を迎え、「日本」という国家はこの古代的首長制共同体の連合体として始まった。

これは、古代地中海を統合したローマ帝国という「古代帝国」がキウィタースという都市国家共同体の連合体であったり、
上古の中華帝国が邑という都市国家共同体の連合体であったのと並行現象だと思うんだ。で、こういう古代帝国ってのは、
鉄器時代的古代共同体を存続基盤にしているんだが、「古代帝国」的な統合の中で鉄器時代的古代共同体ってものが融解してきちゃう。
これはある意味統合の帰結なんだけど、逆にそれ自体が「古代帝国」の存続基盤を打ち砕いてしまう。

日本の「律令制国家」が在地の首長制共同体の解体で崩壊に向かったり、ローマ帝国が在地のキウィタース社会の解体で崩壊に向かったり、
中華世界の漢帝国が在地の郷里制邑共同体の解体で豪族連合政権に変質していったり、どれも中央政権が依拠していた在地共同体の
解体が背景になっている。

日本の場合、このいったん崩壊した在地共同体が貨幣経済の発展によって力をつけた庶民が一揆結合によって再生していく14世紀末を
「近世の萌芽」と考えている。そして、古代的共同体が解体して近世的共同体が出現してくるまでの、名主による民衆支配が前面に出ていた
時代を「日本の中世」と理解している。