>>23
当時はまだ貨幣経済は日本社会に浸透していない(だから皇朝十二銭は日本社会に定着しなかった)ので、
「金銭支配」とは言えないんだな。あえて言うなら「経済支配」と言えるかもしれない。

私の仮説ではあるんだが、農業などの産業を支えるサプライチェーンが劇的に変わったんだと思う。

日本の古代社会では鉄器時代社会になっても製鉄技術自体はなかなか導入に成功しなかった。
それで、朝鮮半島南端弁韓伽耶で製造された鉄素材を輸入して国内に分配する時代が長く続いた。
弥生時代の「倭国」の成立も、古墳時代の開幕を告げるヤマト政権前方後円墳体制の成立も、
どうやら朝鮮半島から輸入する鉄の安定確保と公平な分配にかかわるものだったらしい。

それが、6世紀継体朝の頃になってようやく中国地方で国内製鉄が始まる。

でも、白村江の戦いに象徴されるように、7世紀になっても朝鮮半島への軍事介入を続けたという事は、
鉄の国産化が始まっても供給量が十分ではなく、まだかなり輸入に依存した蓋然性をうかがわせる。

それが、十分な国産化が達成されてくるのが9〜10世紀なんじゃないかと思う。

弥生〜古墳時代の在地社会の首長の統治の正統性のひとつは、ヤマト政権との結びつきによる鉄の地域への
安定供給を担っていたことに求められるだろう。

ところが、日本国内にいくつもの国産製鉄拠点が誕生し、中央とのコネクションによらずに鉄を入手する
ルートがいくつも成立、私的に鉄製農具を蓄積した者がますます富み栄えて、それまでの共同体成員だった
民衆を隷属民化していく、それが古代集落の解体を引き起こしたんだと思う。