二、卑弥呼の墓

 次は卑弥呼の墓についてお話しします。
 2009年5月29日に、NHKや民放各局それに新聞各社が一斉に、国立歴史民族博物館(千葉県佐倉市)の発表によるとして、奈良県桜井市にある箸墓古墳(全長280メートル)が
卑弥呼の墓の可能性が強まったとして報道されました。それは同古墳の傍らから出土した土器が、
「放射性炭素(C14)年代測定法」により西暦240〜260年の物と測定されたことにより、卑弥呼が「魏志倭人伝」に登場し、死亡した年代が一致した、としております。
 それでは、卑弥呼の墓について、「魏志倭人伝」には一体どのように記されていたのでしょうか。

  「卑弥呼以て死し、大いに冢ちょうを作る、径百余歩。」

とあります。これを箸墓古墳に当てはめて見ます。先ず、「径」とは円の直径を意味しますので、円墳でなければなりません。前方後円墳である箸墓古墳では全くおかしいことになります。
そのため発表では円形部分だけを指すと言っております。その円形部分はおよそ150メートルなので、
「百余歩」ですから一歩は約150センチメートルとなります。皆さんこのような歩幅で歩けますか。とんでもないですね。そこで何と言っているかと申しますと、片足を一歩出しそれが75センチメートル、
次いでもう一歩出して75センチメートル、つまり両足動歩で一歩とするのです。
 ところが、この時代の中国では一里が300歩、一歩はその300分の1。そして、一里は77メートルの短里なので、一歩は約26センチメートルです。従って、
卑弥呼の墓「径百余歩」とは、26〜30メートルとなります。
 もう一つ「魏志倭人伝」に次の記述があります。それは、倭人の風俗を記した箇所に、

  「死ぬと棺に納めるが、槨は作らず、土を盛りあげて冢をつくる。」

 とあります。中国では、冢は墓よりも小さいものを指しています。そのことを示す有名な言葉があります。すなわち、三国の一翼を担う「蜀」の皇帝劉備玄徳は、
白帝城で己が死に臨み、「墓を造ることなかれ、冢で良い」と言いました。つまり冢は規模とすれば塚です。
 また、「大いに」の意は「大きい」ではありません。「大いに励む」とか「大いに○○する」で、「一所懸命○○する」の意です。これも勘違いのもとになっているのでしょう。 
 これらのことから、卑弥呼の墓は、箸墓古墳などの巨大古墳では決してありえないのです。