次に、大和王朝の最初の天皇と言われた神武天皇についてお話しします。
 残り時間もありませんので結論を簡単に申し上げますと、実在の人物であり、出身は九州王朝の一員と見られます。大和遠征の出発場所は博多湾岸「日向ひなた」地方です。大和王朝の開祖ですが、九州王朝の分家だったのです。
 最後に、そののち日本列島の主権者となる天皇家の大和朝廷成立に至る過程を略述しますと次のようです(天皇名は全て後世の諡号、天皇位は天智天皇からか、それまでは王または大王)。
 神武天皇から9代の開化天皇まで(但し全て実在とは限らない)は大和盆地の一豪族として存在、10代の崇神天皇から盆地の外に出て近隣の制圧に入るのですが、25代武烈天皇に至って王統が断絶しましたので、
これを「大和古王朝」と呼んでおります。それも中国の史書にあるごとく、王朝最後の帝は暴君とされたように、わが国もその例に漏れず、武烈は悪逆非道の天皇として国史に留められたのです。
替って、越前三国えちぜんみくにの豪族であった男大迹王おおどのおうが、20年の歳月を経て大和に入り「大和新王朝」を開いて26代継体けいたい天皇となってから41代持統じとう天皇まで九州王朝支配圏の一王朝として、近畿地方を支配したのです