>>559
畿内にある鯨面埴輪のモデルは身分の低い者であると言うのが定説
ヤマト王権は鯨面を刑罰として取り入れていたので支配階級は鯨面をしていなかったはず
埴輪は支配階級の副葬品なので支配階級に使える人たち、階級の低い奴隷などがモデルになっていたと思う
一方九州では八世紀頃まで入れ墨の習慣があったことが隋書で明らかになってる