比叡山の基礎を築いた平安時代の天台僧、慈覚大師円仁(えんにん、794〜864)が、9世紀に最後の遣唐使船で中国大陸に渡った際、
上陸地点近くで滞在した「国清寺(こくせいじ)」とみられる遺構が、中国沿海部の江蘇省南通市でみつかった。
円仁が帰国後に著した旅行記「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」の記録を裏づける唐の時代の遺構の発見は初めて。
専門家は古代の日中交流史の実像を探る貴重な遺跡と注目する。
「巡礼行記」は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の「大唐西域記(だいとうさいいきき)」と並ぶ世界三大東方旅行記の一つとされる。円仁は巡礼行記に、命からがらの状態で上陸後、「国清寺」に宿泊したと書き残したが、唐側の記録では確認できず、長年、日中の研究者が所在地を探してきた。
続きはソースで
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20180730001097_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180730001079_comm.jpg
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https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180730001091_commL.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180730001086_commL.jpg
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL7W4R2KL7WPTFC00V.html
上陸地点近くで滞在した「国清寺(こくせいじ)」とみられる遺構が、中国沿海部の江蘇省南通市でみつかった。
円仁が帰国後に著した旅行記「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」の記録を裏づける唐の時代の遺構の発見は初めて。
専門家は古代の日中交流史の実像を探る貴重な遺跡と注目する。
「巡礼行記」は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の「大唐西域記(だいとうさいいきき)」と並ぶ世界三大東方旅行記の一つとされる。円仁は巡礼行記に、命からがらの状態で上陸後、「国清寺」に宿泊したと書き残したが、唐側の記録では確認できず、長年、日中の研究者が所在地を探してきた。
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朝日新聞デジタル
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