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【和歌山】[田辺市]八咫の火祭り[2019/08/31]
0001フリーザ ★
垢版 |
2019/08/30(金) 21:13:54.65ID:CAP_USER
古代、奥深い熊野の山に迷った神武天皇を、熊野の神の使いである八咫烏(やたがらす)が正しい道へ導いたという故事にならい、「人々を幸福に導く」をテーマとした“導きの祭り”が開催されます。
揺れる「炎の神輿」が、総勢約70人からなる厳粛な時代行列とともに、熊野本宮大社から、その旧社地へと延びる御幸道の和ろうそくの中を厳かに進みます。
「地」を象徴する和太鼓(奥熊野太鼓)が力強く打ち鳴らされて地響きとなり、人々は賑わい「八咫踊り」を始めます。フィナーレは、「天」に舞い上がる花火が夜空を染め、火祭りを飾ります。


開催期間
2019年8月31日  スタート/18:30 ※雨天の時は場所を変更して開催

開催場所
和歌山県田辺市 熊野本宮大社 旧社地 大斎原

交通アクセス
JRきのくに線「紀伊田辺駅」から龍神バス約2時間「本宮大社前」下車

主催
八咫の火祭り実行委員会

以下ソース:https://www.jalan.net/event/evt_244650/(じゃらん)
0002情報発信元:七七四通信社
垢版 |
2020/10/08(木) 14:17:07.16ID:1SKZcsDe
この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。

一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。

https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める

この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。

これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php

なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。

合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。

植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。

ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
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