個人的な要求を弱者性を利用して押し通そうとする姿勢が嫌われる

弱者性を振りかざす人は、個人的な要求を「○○(弱者性を示す単語)なので配慮して欲しい」と言い換えてしまうことが目立つ。
例えば「私はコミュ障なので、皆さんに話しかけてほしいです」とか「私はHSPなので鈍感で共感力のない人とは関わりたくないです」という具合に、自分の弱者性を隠れ蓑にして個人的な要求を押し通そうとする。
一言でいえば、ずる賢い方法で他人を説得しようとするのだ。そうしたずる賢い姿勢そのものが趣蹙を買い、嫌われる原因なのだ。(※なお、ファッションコミュ障などのファッション○○が嫌われる原因も同じである。)
集団生活を余儀なくされる場面では、個人的な希望を押し通すために、弱者性を振りかざす人が問題視されやすいのは明白である。
なお、弱者性の厄介なところは、弱者であることを示しているために「それは単なるあなた個人のわがままでは?」という具合に、ちょっと切り込んだ指摘をしようものなら、「あなたは○○な人を差別するのですか?」という、逆ギレする理由を与えてしまうことである。これについては次で詳しく説明しよう


指摘や疑問の声を上げた人を悪者に仕立て上げ、社会的に叩きのめす傾向がある

一般的に、社会的弱者に対してはあまり否定的な意見をすることや、考えを持つことはタブー視されている。もちろん、思想を持つこと自体はそのもの問題ないが、それ口にしようものならあらゆる方面からツッコミが入り、炎上などの面倒事になるリスクが高まる。
そのため、こうしたデリケート且つ可燃性の高い弱者性に関する話題は、政治、宗教、野球に関する話題同様に公の場ではしないほうが無難である。
だが、上でも触れたように弱者性を振りかざす人は、弱者であることを理由にして個人的な要求を押し通そうとする部分があるので、つい「いや、それは○○(弱者性)ではなくて、あなたのわがままでは?」と、つい指摘したくなることがある。
そのときに取るのが「あなたは○○(弱者性)を否定するのか?」と、個人レベルの指摘をまるで社会問題かのように大げさに取り上げて、指摘や疑問の声を持つ人を一方的に封じ込めようとすることだ。
とくに、振りかざした弱者性がより社会で関心を呼びそうな事柄(ジェンダー、障害、貧困問題など)であれば、指摘や疑問の声を上げた人をより強く叩きのめせる。運良くいけば自分に向けられた批判の矛先を、すべて相手に向けさせてその場の主導権を奪取することもできてしまう。
そのため、まっとうな人ほど弱者性を持つ人をそれとなく遠ざけるようになる。何がきっかけで謂れのない社会的な制裁を受けるぐらいなら、最初から関わらないほうが無難であると考えるからだ。