彼の幼名は「北輝」。成人して「北輝次郎」と改名し、これが北の「本名」となるのだそうです。
彼は元々「左翼(マルクス主義・社会主義)思想」に傾倒した社会主義思想家で、『国体論および純正社会主義』という書物の中で、「明治憲法下の天皇制の矛盾」を痛切に批判します。
更に彼は上海に渡り、ここで執筆したのが『日本改造法案大綱』。この大綱が皇道派の暴走を後押しする「思想」となります。
この書物の冒頭で彼は、「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要である」と記しています。
北は、元々天皇制を批判し、社会主義者たちとも交流を持つ「社会主義思想」の持ち主でした。
ですが、『日本改造法案大綱』の中では、この「天皇制」を否定せず、天皇陛下の下で革命を実現するべきだ、と打ち出したわけです。
北は、途中で気づくんですね。日本という国で革命を行うためには、天皇制を否定するよりも天皇制を維持し、天皇制の下で、合法的に革命を実践することが最も合理的である、と。
彼がこの「日本改造法案大綱」に掲載した内容。そのほぼすべてが敗戦後、GHQ支配下の日本において実現しています。
では、この革命を行った「北一輝」なる人物。彼は本当に「右翼」であったのでしょうか。
2.26事件の後に制定した「国家総動員法」。これは、激化する日中戦争の最中、戦時体制を整えるために施行された法律です。
この期間、事実上明治憲法で保障されていた権利は制限されていましたし、経済そのものも国家が管理する「計画経済制度」であり、ソビエトが当時用いていた社会主義政策とも酷似していました。
戦争によって日本が壊滅的な打撃を受け、アメリカによる占領政策下に於いて実現した社会政策こそ北が提唱した政策まさにそのものでした。
そしてそれは、天皇制を是認していることを除けば、共産党の目指す社会構造そのものではないでしょうか。