おのれの日誌代わりですから、ですます調ではありませぬが、すこし記しておきます

▼4月28日の土曜日。
 早朝に東京を出て、10年のあいだ続けた通常講義を終えたばかりの近畿大学(東大阪市)に入り、初めての特別講義(年に2回ほどかな?)を気合いを込めて遂行した。
 帰京すると、ネットテレビ「夜バズ」に2時間フルに参加し、そのまま半島情勢をめぐる仕事に戻って、知らないまま短い仮眠に落ちていた。
 気がついたら29日日曜の朝5時を過ぎている!
 成田空港へ出発するまで、あと2時間しかないのに、まだ荷物のパッキングも何も手が付いていない。
 ふらふらしながらもどうにか準備して、空港へ。

▼機中では、テキサスの「国立太平洋戦争博物館」での英語スピーチを練る。
 いつも通り、片眼と片耳で映画を視ながらの仕事だ。
 機内映画の1本目は、アメリカの女子フィギュア選手のオリンピックでの大スキャンダルを扱っている。ぼくも当時、この人はどうしてここまでやるのかなと思っていたので、すこし関心を持ってちらちら眺めた。
 映画で描かれたこの選手トーニャの悲しい育ち方が、どこまで事実かは映画を視ただけでは分からないけれど、これから再び訪れるアメリカのひとつの裏の顔は確かに見た感じがあった。
 英語スピーチはいったん書き上げて、それを見直すために、頭の切り替えが必要で映画の2本目「スリー・ビルボード」(邦題)を視ていた。
 これがあまりにも凄絶というか、まさか、やめてくれよ、みたいな映画だった。
 思わず真剣に見終わって、台詞もちゃんと両耳で聴き、それから短い仮眠に入りつつ考えていたら、ちょっと物語に無理のある感じが強くなった。
 それでも、この2本を合わせて、アメリカ社会のこういう暗黒面を改めて考えられて良かったと思った。

 仮眠から起きて、英語スピーチを見直すと、まずまずの出来で、いったんこれで良しとする。
 昨年のまったく同時期に訪れた、このNational Museum of the Pacific War で、たとえば日本国沖縄県の歴史について展示の間違いを指摘したら、歴史学者の館長さんが修正に応じてくれた。
 それを踏まえたスピーチだから、責任も痛感する。だから、その場で原稿無しで語るいつものスタイルをやめて、きっちり英文原稿を書いたのだった。
 内心では『ほんとうは、ぼくは原稿無しで聴衆の顔を見ながらアドリブで話すのが一番いいんだけどな。英語でもそれは同じだ』と考えつつ、今回は責任の重さの方が先に立った。