羹に懲りて膾を吹くというのを、実際にはリスクのないものなのに、過去の失敗の経験からリスクがあるかのごとく扱うの様を指すと解釈しても、
今回の論点になっている、Vivaldiによる独自エンジン開発の是非の例として持ち出すのは不適格だ。
なぜなら、MSのような巨大企業でさえ失敗した独自エンジンの開発にVivaldiのような小規模な企業が乗り出すのは、明らかリスクだからだ。