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35コメント40KB
満州国建国の正当性
0001○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 02:36:14.73ID:+sxviqbrM
どうも、捏造歴史を正している●日本人● ◆pq1oysZ4bEです。

政治思想板に捏造歴史関連のスレを立てるのは、
捏造歴史というものが、しばしば政治(国際政治含む)の世界に利用されるからです。

さて、このスレでは満州国建国の正当性についてです。
「日本は中国に侵略した」という侵略論争のキーポイントは満州国建国関連です。
これについては4年間議論しましたので、そのエッセンスを短くまとめました。
0002○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 02:39:16.23ID:+sxviqbrM
リットン報告書

問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について
十分な知識を持ったものだけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべきだ。
この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、
他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。
また一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたと言ったような簡単な事件でもない。
なぜなら満洲においては、世界の他の地域に類例を見ないような多くの特殊事情があるからだ。

全文リットン報告書 ビジネス社  渡部昇一 解説編集
-------------------------------

これを読めばこの後に「十分な知識をもった者同士」によって議論が行われたと思うでしょう。
それから決議したと。

しかしそんな事はなかった。
0003○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 02:43:23.85ID:+sxviqbrM
リットン報告書に対する日本の反論を書いたのは、英国の国際法の権威トマス・バティ
(1916年日本国外務省の法律顧問就任、1928年より日本外務省職員)

国際連盟は日本国と満州国の反論で満州国を認めるしかなかった。
満州国の反論は建国と同時に満州国顧問に就任したジョージ・ブロンソン・レーが関わっていただろう。
(レーは清国の歴史と当時の中国のおける政治に精通しているアメリカ人)

国際連盟は日本の反論について討議せず、また満州国が出した陳述書は非公開としてしまった。
日本側は何度も満州国の陳述書を加盟国に配布するよう求めたが拒否された。
まさに「問答無用」とばかりに一方的な態度で満州国を認めなかった。
これは裁判に例えると、検察の冒頭陳述(リットン報告書)ですぐに結審して判決(決議)を出すようなもの。
あまりにも無茶苦茶だが、これにより日本は国際連盟を脱退した。

では満州国の主張とはなにか?それは満州国顧問のレーが後に書いた
「満州国出現の合理性(1936年出版)」に載っている。
それをベースにして満洲国建国の正当性の論理が展開される。
0004○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 02:50:37.54ID:+sxviqbrM
さて、満洲国建国の正当性について語る前に、触れておかなければならない事があります。
それは反日左翼と議論した時に必ず出てくる

「柳条湖事件(満州事変)はでっち上げ」「日本は自作自演で侵略した」

です。これについてはリットン調査団によって事変前に日本の権益が侵害されていた事実が認定された事を踏まえ、
反日左翼には例え話をもって説明しました。
0005○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 03:00:45.45ID:+sxviqbrM
>>4 例え話

親に虐待されていた少年がいた。

少年は先生に相談しようか迷っていたが、
ある日、歩道橋の上を歩いていた時に立ち止まり、意を決して階段から自ら転げ落ちた。
腕を切って血が噴き出したのを止血し、病院に駆け込んだ少年は「親に虐待された」と言った。
すぐに病院からの通報で警察が駆け付け、話を聞いた刑事は捜査して数々の証言と証拠から虐待の事実が明らかとなり親を逮捕した。

と、その時、女の子が現れ「あの腕の傷は自分で階段から転げ落ちて出来た傷よ!あたし見ていたの」と言った。
刑事は少年に「本当か?」と聞く。少年はコクリと頷く。

刑事 「はい終了!お父さんお母さん、手錠は痛かったでしょう、今外しますよ。はい解散!」

・・・とはならない。

すでに捜査で虐待の証拠を得ていた刑事は、女の子にキャンディーを与え「ありがとね・・・よし!親を署に連行するぞ!」となる。
0006○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 03:10:28.07ID:+sxviqbrM
これがキャンディを与えるように反日左翼にした例え話です。
しかし、この私の例え話には一点訂正箇所があります。
この例え話を出したのは満州議論をしていた2008年前後だと思いますが、
前掲「全文リットン報告書 ビジネス社  渡部昇一 解説編集」が出版されたのは2014年で
その中に上記したこの文章があったわけです。

>この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、
>他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。
全文リットン報告書 

リットンは調査した結果、日本が中国の権益侵害の事実を国際連盟に訴え、
調停が行われていたが解決していなかった、と証言しています。
私が例え話をした時はその事実を知りませんでした。

つまりリットンは解決できなかった国際連盟を暗に非難しています。
だからこそ勧告では、事変前(紛争前の日本の権益が侵害されている時)に戻してもこの問題は解決できないので
「列強の共同管理によって日本の権益を守ろう」という事になったのです。
この事は渡部氏も本書の中で「リットン報告書は相当程度、日本の立場を認めている」と述べています。
結局は満州国建国が認められなかったので勧告は拒否しますが、
この事について反日左翼以外のまともな人達は
「なぜ日本は勧告を受け入れなかったのだ?列強が共同管理して日本の権益を守ってくれるならば良いではないか」
と言うのです。
この事については後ほど説明します。
0007○日本人○ ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 03:26:17.39ID:+sxviqbrM
>>6
さて、この事(事変前に調停が行われていた)に鑑みれば、私の例え話の誤りが分かりますよね?

>少年は先生に相談しようか迷っていたが、

ここが誤りで、すでに少年(日本)は先生(国際連盟)に相談していたのです。
しかし解決できずに

>意を決して階段から転げ落ちた。

柳条湖事件(満州事変)という事になります。

それでは満洲国建国の正当性についてです。
0008●日本人● ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 04:36:46.63ID:+sxviqbrM
>>6
いきなり訂正です

読んだのは2014年以後って事は無いなぁー、と思って調べたら
2014年は新装版が出版された年ですね。
2010年か11年には読んだはずだと思って調べたら2006年にすでに出版されていた。
とにかく例え話を出した2008年時点では読んでませんでした。
といいますか5ちゃんねる以外でも満州議論したりロムったりしていましたが
専門家のような人も出してなかったんですよ。

>この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、
>他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。
全文リットン報告書 

これは非常に重要な事だと思うんですけどね。
とにかくツッコまれる前に訂正出来て良かったです。
というかまだ誰もこのスレを見ていないかも・・・

それでは改めて満洲国建国の正当性
0009●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 04:46:54.70ID:+sxviqbrM
満州国建国の正当性。
それでは現在問題となっているチベットや新疆ウイグル問題と絡めて話を進めましょう。

オランダがインドネシアを300年以上支配していたのはご存知の方も多いと思います。
さて、オランダによるインドネシア統治が終わる時に
「今まで支配していたのだから、今度は逆にインドネシアがオランダを支配するべきだ」
という人はいるでしょうか?
それはイギリスのビルマやインド、フランスのベトナムなどにも言えますが、
「今度は逆に支配されるべきだ」と感情的になって言ったとしても、本気で言う人はいないでしょう。

しかしもしも両者が話し合ってそのように決まったならば、
つまりインドネシアによるオランダ統治が決まったならば、誰も異議を唱えないでしょう。
両国は協定を結び、インドネシアによるオランダ統治が始まった(とします)
しかしここでインドネシアが協定を破棄した事により、オランダが前のように独立するとなったら?
誰もオランダを責めたりする人はいないでしょう。

では満州国について・・・
0010●日本人● ◆pq1oysZ4bE
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2023/05/17(水) 05:05:29.73ID:+sxviqbrM
17世紀に満州の地にあった「満州族」の国家である大清が、
「漢民族」の国家である明を破り、漢民族を支配した。
ここで大清(満州族)による帝国においての他民族や国との支配関係を見てみましょう。

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しかし、清帝国支配化のアジア諸民族の地位はそれぞれ違っていた。朝鮮や越南は属国であり、
モンゴルは盟友で、チベットは教王領として、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、皇帝の国師となっていた。
新疆の回部とともに藩部と称され、外様大名であった。だから、モンゴル・チベットは朝鮮のような属国ではなかった。

清朝支配下の中国について、たとえば岡田英弘教授のように「清の植民地」とみる学者もいる。
ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。
それは征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。
たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に官女としない。漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。
対外公文書は漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文。漢人の夷語(外国語)学習の禁止。
夷人への漢語・漢文伝授も禁止。満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。
天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の経営。漢人はいかなる重臣といえども、
清皇帝に対し、「家奴」(家内奴隷)と自称・・・・・など。
清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。
だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、「家奴国家」であったろう。

『捏造された近現代史―日本を陥れる中国・韓国の罠』徳間書店 黄 文雄 (著)
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0011●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 05:22:49.80ID:+sxviqbrM
辛亥革命というのは「自国の王朝を倒す革命」ではなく、
「漢民族による大清帝国からの独立運動」だったのである。
そもそも辛亥革命の始まりは14の省が清国からの分離独立宣言した時からです。
アジアの植民地が欧米諸国から独立するようなものです>>9

三民主義を知っているだろうか?
みんなも学校で習ったと思うが、ある事が隠されていた。
反日左翼教師が教えなかった事がある。
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ウィキペディア【三民主義】
1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の
「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・
民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B0%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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韃虜(だつりょ)=満州族の蔑称

「韃虜の駆除」である。それが隠されていた。
まぁなんというか「隠すほどに現るる事はなし」(隠そうとした事で却って人に知れ渡ってしまう)
この三民主義の場合、何が現れるかというと「満州国建国の正当性」である。
「満州国建国の正当性」を論じる上で漢民族と満州族をはっきりと区別し認識する事は大事なことだ。
0012●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 05:34:05.66ID:+sxviqbrM
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シナでの革命が危険なものに思われはじめた時、
満洲朝廷は満洲へ隠棲する可能性を見過ごしていたわけではない。
それどころか、この問題は真剣に議論されたのであり、
シナと満洲の多数の帝国主義者は、これこそ追求すべき最も賢明な方策だと主張したのである。
ところが最終的に摂政と多くの親王が北京に残留することを決断したのは、
袁世凱が優待条件の中で彼らのために確保した条項を、彼らが、愚かにも、
そしておめでたくも、すばらしいと信じたからである。

完訳 紫禁城の黄昏(上) 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修)
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この時に大清の満州族が父祖の地である満州に帰っていたら、
中華民国とは別の国、大清(国名はそのままかどうか分からない)が
満州の地で続いていた事になる。
しかし最終的に満州に還らず北京に留まったのは、袁世凱から提案された優待条件、
すなわち清帝退位協定を中華民国政府と結んだからである。
これは一体どういう協定か?
0013●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 05:39:19.81ID:+sxviqbrM
>>12
清帝退位協定

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中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)

1 大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、
 中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。

2 大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する。
3 大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する。
5 先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式も旧制のままとする。
6 紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後採用出来ない。
7 大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
8 禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。
http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/chuuka_minkoku1.html
0014●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 05:46:14.19ID:+sxviqbrM
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清帝退位協定付属の第二文書

満、蒙、回、蔵各族待遇条件

第一条 満、蒙、回、蔵各人種ハ漢人ト完全ニ同等ナルベシ。
第二条 満、蒙、回、蔵各人種ノ私有財産ハ完全ニ之ヲ保護ス。
第三条 満蒙ノ王公其ノ他ノ貴族ハ従前ノ通リ其ノ称号ヲ保持スベシ。
第四条 貧困ナル王公ニハ生活費ヲ支給ス。
第五条 八旗ノ生計ニ關スル規定ハ速ニ之ヲ定メ其ノ規定ノ制定セラルルマデ八旗ノ俸給ハ従前ノ通トス。
第六条 満、蒙、回、蔵各人種ニ対スル通商及居住ニ關スル制限ハ之ヲ撤廃シ爾今各省県ノ居住ハ自由タルベシ。
第七条 満、蒙、回、蔵各人種ハ完全ナル信教ノ自由ヲ享有ス。
ブロンソン・レー著『満州国出現の合理性』(日本国際協会、昭和11年8月)、付録ノ三より。
------------------------------

この協定によって中華民国は大清の版図を承継した事になった。
しかしこれは漢民族(中華民国)と満州族(清帝国)の取り決めであって他の民族は従う必要が無い。(当然チベットや新疆ウイグルも)
盟友(>>10)であるモンゴルは「漢民族に従うなんてまっぴら御免。(満州族)皇帝が復辟すればすぐに帝国に馳せ参じる」として
去ってしまった。
当然チベットや新疆ウイグルもそのようにする権利がある。(前述したようにそもそも従わなくてよい)
0015右や左の名無し様
垢版 |
2023/05/17(水) 06:01:25.02ID:+sxviqbrM
しかし一番重要な事は、中華民国政府はこの清帝退位協定をハーグ国際法廷に登録し、
諸外国に通達して国際法として遵守する※としていたのに、
12年後の1924年に協定を破棄してしまったのであった。
つまり中国は国際法的にも道理の面でも、チベットやウイグルの主権を主張する根拠が全くないのである。

そして1928年、協定にもあった「4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する」が
蒋介石の北伐軍によって蹂躙された。
宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。
-------------------------------------
※ハーグ国際法廷に登録し、諸外国に通達して国際法として遵守する

中華民国政府がこのような事をしたのは、清朝に「協定は遵守する」と安心させるのと同時に、
諸外国に清国の後継国家と認めさせるため
0016●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/17(水) 06:03:15.34ID:+sxviqbrM
>>15
>宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。

------------------------------
他のことなら、たとえば侮辱でも、嘲笑でも、死の威嚇でも、財産の没収でも、
そして契約の破棄でも許す事ができよう。
しかしこの残忍極まりない、神聖冒涜のおぞましい行為だけは絶対に許すことができない。
このとき以来、シナに対する皇帝の態度が変化したのである。
もっと正確に言えば失政の責任を負うべき人々に対する皇帝の態度が変化したのである。
皇帝は生まれつき寛大で思いやりがある方なので、最も凶暴な敵に対してでさえ、
今までただの一言も怒りや不平を漏らしたことがない。だが今度ばかりは、
さすがの皇帝も到底見逃せない事件だったのである。

その時まで皇帝は、満州に勢力が結集していることは知っていたものの、
独立運動にはまったく関与していなかった。また、皇帝自身が先祖の故郷の満州へ戻るよう
誘われる可能性についても、まともに考えたこともなかった。
皇帝は、いつかシナが正気に戻り、万事がうまく運ぶだろうとという希望を抱きつづけていたのである。

だが、今やその希望も消えうせてしまった。私が次に皇帝を訪ねたときは、
目立った変貌ぶりを見せていた。あまりにも変化が著しいので、皇帝は侮辱された先祖の霊魂と霊的な
交わりを持ったのではないか、そしてそれまで自国と先祖を辱めたシナに向いていた顔を
三百年前に帝国の強固な礎を築いた国土に向け、満州を注視せよと、
先祖の霊魂にせきたてられているのではないか、と思ったほどだ。

完訳 紫禁城の黄昏 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修)
------------------------------
0017右や左の名無し様
垢版 |
2023/05/17(水) 19:53:44.56ID:5Sl95qtJ0
 
貧乏を しても下谷の 長者町 上野のかねの うなるのを聞く
0018右や左の名無し様
垢版 |
2023/05/17(水) 21:33:50.64ID:89vOWlos0
満人と漢人が同等な訳ないだろう。
支那人は満州では外人だ
こういう左巻きの布告をするから、偉大な満州が劣等民族である支那共産党の牙城になった。
左巻き反日コテの「日本人」には好都合だろうが
0019●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/18(木) 07:48:26.99ID:49HMXJiCM
>>18
このスレは私が「満州国建国は正当であり、日本の侵略などではない」という事を主張し、
それに反論ある人と議論するスレだよ。
議論したいの?

しかし私が「侵略」という言葉を使うと

>侵略とか植民地とか共産党の特殊用語を使うから反日極左は間違いない。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/sisou/1567036962/15

私を反日極左というわけだな。このスレでは「おふざけ」は無しだ。
満州議論がしたいなら相手をするけどな。
だからまずは満州国建国は正当か不当か、日本の侵略かそうで無いか言ってくれ。
満州議論がやりたいならね。
また「満州国建国は正当であり、日本の侵略などではない」と言うのなら
私と意見が一致したわけであり、このスレで一緒に主張していこう。
これから反論ある人達をこのスレに誘導してくるからタッグを組んでやろう。
0020右や左の名無し様
垢版 |
2023/05/18(木) 07:51:31.03ID:49HMXJiCM
>>18
>満人と漢人が同等な訳ないだろう。

私のどのレスに対してのものなのだ?
もっと長い文章で書いてくれ。

>支那人は満州では外人だ

これはその通りだった。
>>10
>漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。

清朝は満州に行く漢民族に査証を発給していた。
そのレスからは「満州国建国は正当」と読めるのだが、
一緒にタッグを組んでくれるのか?

それとついでに
>>10
>対外公文書は漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文。

1842年の南京条約からそれらに加えて漢文も付されるようになった。
漢文に変わったのではないよ、あくまでも付属ね。
これはやはり清朝がアヘン戦争で負けて少し凹んで、自信が無くなったので、
相対的に漢人の地位が少し上がった事と関係しているのだろう。
しかしながら、基本的な関係は最後まで崩れてはいなかった。

>清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。
0021●日本人● ◆pq1oysZ4bE
垢版 |
2023/05/18(木) 08:04:05.71ID:49HMXJiCM
>>20
また名前欄のトリップ付け忘れた。
記憶されないから一回一回付けないと駄目なんだ。

という事で>>16で満州国建国までの流れは説明しました。
後は補足説明ですが、誰かと議論しながらの方が良いと思いますので、
私も誘導してきますが、この件に詳しい人を誘導してきてください。

ただ一点注意があります。
この満州議論においては、おそらくハイレベルになりそうなので
本当の専門家では無いと務まらないと思います。

私は4年間の満州議論が終わって、図書館で近代史の専門家の本を見てみました。
特に反日左翼系の学者の本ですが、とても議論できるレベルではありませんでした。
ただ戦前の日本の悪口を言いたい馬鹿に見えました。

という事で誘導の際はそこを気を付けてよろしくお願いします。
それでは対論者が現れるまで補足説明の方をゆっくりやっていきます。
0022右や左の名無し様
垢版 |
2023/05/18(木) 08:40:31.62ID:olCNKb6g0
満州って朝鮮人がやりたがったんでは?

半島に繋がってるし
0023右や左の名無し様
垢版 |
2023/05/21(日) 11:15:21.19ID:4gm7gsFDM
>>22
満州を朝鮮人がやりたがった、という意味が分からないだけど・・・

とりあえず韓国の捏造歴史はこのスレ

韓国の捏造歴史を正す
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/sisou/1682554998/

それと性奴隷の大嘘はこちろ

【大嘘】 「日本軍による性奴隷」 
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/sisou/1539378467/

↓このスレはいろいろ入っちゃってるから分けた方が良いって事で、
満州国関連の資料もこのスレに引っ張ってこないと

捏造歴史を正す
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/sisou/1565821263/
0026右や左の名無し様
垢版 |
2023/08/15(火) 16:45:18.02ID:HGUqbqJCM
>>25
誤爆した
0028AI太郎 ◆S5GzAHI2fk
垢版 |
2023/08/18(金) 07:58:52.38ID:khX/qPuH0
中国共産党は満州國建国を正当と主張し、建国の為の満州事変を革命戦争として称賛しています。
1.従来、満州の地は中国人を排除する性格がありました。満州國建国の結果、中国人は自由に満州に移住することができるようになり、多くの共産党員が国民党の弾圧を避けて満州にはいりました。
満州での経済活動で、主に日本の資産を奪い、共産党の資金源となりました。
2.17世紀から満州とくに北満はロシアの勢力圏であり、革命後はロシアの海外利権はすべて放棄されましたが、北清鉄道など満州の利権だけはのこり、満州國に継承されました。
この結果、ソビエト連邦の影響力は北支・朝鮮などに波及することになりました。満州事変が「革命戦争」として称賛されるのはそのためです。
3.満州國執政、ラストエンペラーこと愛新覚羅溥儀はのちに皇帝に即位しました。
溥儀皇帝は極東軍事裁判で証人として日本を非難し、後に中国共産党幹部(政協全国委員)になる独裁者です。満州國建国には反日・共産主義の独裁書を王として賞揚する意義もありました。
中国共産党はたびたび旧日本軍の戦闘行為を革命的と最大限の賛辞で表現しますが、なかでも満州國建国と満州事変は金字塔として賛美しています。
0029右や左の名無し様
垢版 |
2023/09/18(月) 17:57:23.14ID:HhgZPIg80
満州国は原理的に正当だ
対する連合国、中国、そして日本の満州批判論は理屈になってないから批判論になってない

満州国建国の遠因は
国民党革命軍は1914年満州族幼児を含む一族郎党15-20万を大虐殺したテロリストである
そして1927年クーデター実行と同時に毛沢東の妻を含む共産党員一族郎党大虐殺を1936年まで継承していた

この国民党は南京大使館をかわぎりに邦人に対する虐殺テロルを実行し、虐殺で成り立つテロ集団で、国内テロルの次に日本人に対する虐殺をするのはわかりきった潜在脅威だった

そして同時に1919年頃からソ連朝鮮族もイニチェリ虐殺のあとに邦人、朝鮮人集落虐殺テロルを実行し、周辺情勢は不安定であった

その不安定化で中朝国境線の集落及び満州鉄道利権区域は将来的に国民党、朝鮮テロリストの二重襲撃を受ける危機があった
正確には1925-1932年犠牲者数百人以上、襲撃回数十数回以上の襲撃を受けている

よって1932年に軍は経済以前にテロルに対する防波堤構築をするために満州国を県立した
また満州国という国名が成立するのは当地の満州族は国民党と、朝鮮ゲリラの2つの虐殺に覚えていて、それを保護するという命題を使ったので満州族の満州国になった

満州国は防波堤構築と満州族保護の命題でなった国体だ。ここを経済野心獲得というのはミスリードであり、虐殺脅威対処という大義名分がある

そもそも五族協和とは国民党が満州族を虐殺した後に孫文が言い訳提唱した通年だ
同時に孫文は虐殺を支持しないから国民党から追い出された

そして国民党は共産党虐殺にキレたソ連が脅して辞めさせて、虐殺を邦人虐殺に切り替え通貨虐殺+上海邦人虐殺進軍を始めた
これで満州防波堤の必要性が示されたと同時に正当性の大義名分が生まれた
0030右や左の名無し様
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2023/09/18(月) 18:11:11.08ID:HhgZPIg80
張作霖にしても本質は張作霖は元々国民党が満州族を虐殺したという大義名分で
満州府として成立した団体だった

しかし上海クーデター+共産党虐殺を始めればそれに参加しようとした
またこの男は元々私刑とテロルをやってきた危険集団である

この虐殺参加は中国共産党と法人居住区虐殺を潜在的に意味するので緊急避難殺人の言い訳は成立する


張作霖にしてもこういう背景がある。ここで張作霖爆殺→満州侵攻→南京捏造と話が飛ぶのは歴史捏造である


ああ、あと五族協和じゃなくて国民党は満州族、中国人、日本人、朝鮮人、台湾人の5族を虐殺したのが国民党
0031右や左の名無し様
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2023/11/17(金) 04:25:48.54ID:IY1slehx0
満州も地理的にアナルの子孫はいらっしゃるんですか?
0032右や左の名無し様
垢版 |
2024/01/06(土) 15:43:22.10ID:tXYWwiwU0
これからの中国に満族自治区が

万が一、作られるとしたら、

遼寧省という事になるのでしょうか?
0033右や左の名無し様
垢版 |
2024/01/06(土) 17:36:59.57ID:r+B1wYG60
満州は漢民族立入禁止だった日本のパヨク軍人が共産党などの支那人に開放した

もう元には戻らんよ
0035AI太郎 ◆S5GzAHI2fk
垢版 |
2024/05/11(土) 10:07:48.80ID:BnYB2CLW0
以下に「満州」の視点から清帝国と中国共産革命を分析します。
1. 満州人である清朝は、17世紀初頭に中国を統一し、その後約260年にわたって中国の支配者として君臨しました。清朝は満州人が主要な支配層であったため、満州の視点では中国全土を統治する機会を得たと捉えられるでしょう。清朝は満州の文化や伝統を重視し、中国全土に広がる漢文化との調和を図りましたが、後期には漢人による抵抗や反乱が頻発しました。
2. 中国共産党の勃興と中国共産革命は、清朝の後継国である満州国を根拠地としました。
明朝の中心地に近い南京を拠点とする反満州の中国国民党は日本軍や共産軍などを圧迫しました。日本軍と共産軍は清朝の廃帝であった溥儀をリーダーとして満州国を建国して、旧ソ連の援助もあり国民党軍と対等に闘うことができました。
この戦争は国民党軍の視点からは「抗日戦争」とよばれます。
溥儀は中国共産党が中華人民共和国を樹立すると共産党幹部となり中国人民政治協商会議の委員となり皇帝時代をしのぐ富裕層になったとされています。
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