『中核vs革マル』(立花隆/講談社)

■『警察白書』によると過激派の人数は69年で5万3千人。

■「夜十時頃男の前に満を持した我が部隊が躍り出た。足がすくんで
 身動きできない輩をまず大地に引きづり倒しすかさずバールと鉄パイプで
 乱打を加えた。(中略)無様に伸びたこれに工業用ハンマーを全力で
 後頭部に降り下ろした。反革命分子の頭蓋にドスンとめり込み
 ぴくりとも動かなくなった。我が部隊は警察署の警戒網を易々と
 かいくぐり撤退を完了した」(中核派新聞『前身』より))

■両派のテロ合戦は激化し73年には軽く千件は超えた。

■週刊現代は両派から「ブルジョアジャーナリズム」と見なされ
 敵視されていたが、幹部インタビューに成功した。
 会談に赴くまえにとある場所が指定される。そこに連絡員が来て
 タクシーに2回乗り継ぎ(尾行を警戒)、別の場所に行く。
 近県で乗用車に乗り会談場所に行く。

■革マルはの表の拠点である解放社は初台駅の近くにある8階建てビルで
 大きな帽子とマスクを付けた数人の若者が監視をしていた。
 中には戦闘用の野球のバットが数本置いてあった。

■人間は他の動物と同じように同族殺しには強い抑制力が働く。
 それを乗り越えるために両派は「教育的措置」と呼んでいる。
 中核派、革マルはそれぞれ10人近く殺し合った。