言語獲得以前の自我が生物としての本来のもので、ものごころがついた以降の自我は、言語というOSの上に構築されたいわば「エミュレータの中の自我」なのだろう。
外界をエピソード的に認識するために必要な、例えば「存在する」といった根源的な概念は言語によって初めて獲得されるのでは。
言語獲得以前の自我は犬猫なんかと同じもの。