やはりこの事に強く引っかかるというのは、心のどこかに罪の意識があるからなんだよ
それで普通人としての常識で自問して
肉喰いの欲望には勝てないという人が殆どなんじゃないかな
勇気が必要だと思うよ
罪もない動物を虐殺してその死肉を何で食わなきゃならないの
動物を嫌いな人は少ないと思うけど
その優しい心で牛や豚を見たとき、殺して食ってしまおうとは誰も思わないと思うよ
ただこれまでみんなが食ってるし、法律で罰せられることもないから、可哀そうとは思いながらも
何となく食ってるという人が多いと思う。
まして屠殺されてるところを見ることもなく、その死肉だけがスーパーに並べられて
動物が苦しみ恐怖にさらされてることを考えることすらなく口にする
ただちょっと考えればその罪の深さくらいは誰でも理解できるんじゃないかな
犬や猫だってかわいがれば近寄ってきて愛情表現をするし、人が手をちょっとでも振り上げただけで
恐怖に震えることをほとんどの人は知っている
牛や豚も同じで、人と同じように赤い血を流し、恐怖で震え泣き叫ぶ
そのことも多くの人は知っているんだけども、何となく喰っている
これが罪と呼ばずに何て呼べばいいんだろうか
人が人としてある理由は、心の中の良心と理性こそが人としての証明だと言っていいはず
その正しい心で判断した時に、罪であるかどうかは自らが決めるという事なんだよ