>>69
>幕府は断固とした態度を示しました。しかし、それは外交使節を斬ってしまうと言う当時としても異常な出来事でした。戦争・外交ルールの無視というわけですが、
幕府はそれを知りながらあえて使節を処刑したわけです・・
そこには若き執権「北条時宗」の断固たる決意があったからです。時宗は尊敬する蘭渓道隆(らんけいどうりゅう=日本に禅宗を伝えた宋のお坊さん)から、
「宋が蒙古を軽く見てだらだらと交渉している間に侵略されてしまった」ことを聞いていました。また蘭渓道隆の後継者(こうけいしゃ=あとをつぐ人)である
無学祖元(むがくそげん)からは「莫煩悩」(まくぼんのう=あれこれ考えずに正しいと思うことをやりとおしなさいと言う意味)と唱えられ、交渉の道を絶って
徹底的に戦う決意を示したのです。

↑なんか国際連盟脱退の「我が代表堂々退場す」みたいなコミュ障っぽさを感じる一件ではある。
勝てたから良かったけども負けてたら俺らも釣り目になってた。