半島から大量に人間がやってくるとともに、
彼らは日本の国家中枢を乗っ取るための仕掛けを施してきた。
それが538年に百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典を伝えた出来事…
いわゆる「仏教伝来」だ。

軍事・警察を司る物部氏と、祭祀を司る中臣氏は
「わが国には八百万の神々がいる。外国の蕃神になど祈るべきではない」と天皇に訴え
強硬に受け入れを拒んだ。
しかし天皇はわずかに折れて「試しに蘇我氏だけみ佛に祈ってみたらどうだろう」と折衷案を出した。

しかし結果またも大飢饉がやってきて、物部氏と蘇我氏は
「それ見たことか、蕃神なんかに祈ったからだ」と言って仏教をDisりまくり
責任を感じた天皇は仏像を難波の堀江に流し、蘇我氏の寺を全部焼かせた。

ここまでは良かった。
しかし蘇我氏は強烈なリベンジを仕掛けてきた。
次の欽明天皇を擁立し、コネで一族を重要なポストにつけ、天皇家と婚姻関係を結び、
絶大な権力を握るとともに仏教を大解禁、敵対勢力を次々と追放したり攻撃したりした。
それらの出来事を嚆矢として、日本の中枢が仏教に乗っ取られ、
蘇我氏が凋落した後も非常に長い間仏教国家になったのは知っての通りだ。