東アジアの年表まとめ

508年 梁の蕭繹(南朝梁の元帝)  出生
521年 新羅の募秦王(法興王)が百済に随伴して始めて朝貢。(梁職貢図題記)
526年 梁の蕭繹が西中郎将・荊州刺史となる。
     この頃、蕭繹が職貢図を作成する
531年 継体天皇が没する。安閑天皇即位 (継体天皇の没年は 『古事記』 527年5月26日、
『日本書紀』 531年3月10日または 534年説が有る)

531年 梁の昭明太子(蕭統)没。30歳 蕭統は、蕭詧の父
※2018年2月 昭明太子の墓発見
https://www.asahi.com/articles/ASL1Z5QPBL1ZPTFC019.html
532年 梁の蕭繹が平西将軍の号を受ける
535年1月 武蔵国造笠原直使主と同族の小杵(おさ)とが武蔵国造の地位を巡って争う。
※カサハラは、稲荷山鉄剣象眼にある「其児名(は)加差波余」の子孫か?

535年12月 梁の蕭繹が安西将軍の号に進んだ。
536年 安閑天皇没。宣化天皇が即位。
537年 梁の蕭繹が鎮西将軍の号に進んだ。
538年春、百済の聖王が王都を錦江の中流の泗沘に移す。国号を南扶餘と変える。
539年3月 宣化天皇没。73歳。
539年7月 梁の蕭繹が安右将軍・護軍将軍となり、領石頭戍事を兼ねる。
539年12月欽明天皇が即位する
540年 梁の蕭繹が鎮南将軍・江州刺史として尋陽に出向
544年 新羅(真興王)王都に興輪寺が竣成される。
545年 新羅が「国史」を編纂する。
552年 梁の蕭繹が江陵で皇帝に即位
555年 梁の蕭繹、甥の蕭詧(しょうさつ)により土嚢を積まれ圧死