>>135

ホスロー1世の父カバード1世はマズダク教を利用して王国を再建したが、ホスロー1世は、兄を支持していたマズダク教、兄とその子供達を虐殺した
(マズダク教については、ホスロー1世によって歴史が塗り変えられているため評判は悪い。実像が分からないので推測だがゾロアスター教の自浄作用的な宗派であった可能性がある)

ペルシャ王ホスロー1世は、カバード1世とユスティヌス1世によって、東ローマ帝国の養子となる話が進められていたが、東ローマ帝国側の無礼な裏切りで途中で破断したとされる
当時のペルシャは世界の中心という自負を持ち、東ローマ帝国に適当にあしらわれた恨みはカバード1世だけでなくホスロー1世の晩年にまで影響してきたとする説もある
ユスティアヌス1世と東ローマ帝国に執着することで終わりのない長期消耗戦にペルシャを追い込んだわけだ

主力のベリサリウス軍がイタリアにいる中東の空白状態を見るや
若年時の怨恨をはらそうとペルシャ王ホスロー1世率いるペルシャ軍は平和条約を廃棄して東ローマ帝国に対して侵略を始めた
皆殺しもしくは多額の賠償金の支払いを課すのが、ホスロー1世のやり口であり、和平の申し出があるまで好き放題に略奪を繰り返した
(実際は和平に合意した後も好き放題に略奪したが)

例外はアンティオキアだ。ユスティアヌス1世の東方最大の都市であり東ローマ帝国の顔とでも呼ぶべき都市の建物をことごとく破壊し燃やし、
生き残った全住民を奴隷にして国に持ち帰った、奴隷はユスティアヌス1世をゆするための人質だったが、おり悪くベルサリウスがイタリアから戻ってきて和平は白紙となる
人質として使えなくなったのでホスロー1世はアンティオキアと似た都市(名称は「アンティオキアより優れている」)を首都クテシフォンの近くに作り、ユスティアヌス1世を挑発した

ペルシャ王ホスロー1世は哲人王などと持てはやすものがいるが、調子にのって戦争にのめりこみペルシャを滅ぼす原因を作った亡国の王であると言っていい