>>816

道教は神仙思想のみならず何でも吸収(果てはキリスト教まで)したごった煮的な宗教です。
神仙思想はすたれ,道教にその思想や用語,登場人物(神)が残されているといったことだと思います。

そして「鬼道」は,日本人にとっては漠然と鬼の道か?としか思えませんが,
「三国志に鬼道と言う言葉が何箇所か使われているが、それは日本の邪馬台国と中国の同時代の「五斗米道」を指している」
というように,道教系民間宗教である「五斗米道」を指して侮蔑的なニュアンスで「鬼道」と呼んでいたようです。

このように「鬼道」「道教」「神仙思想」に関連性はありますが,卑弥呼の鬼道は神仙思想のバッドコピーだと思います。

そして神仙思想での始祖といえば,三皇五帝代の「三皇」すなわち「天皇・地皇・人皇(てんこう・ちこう・じんこう)」で,三者を代表するのは天皇です。
つまり「天皇」とは「神仙」であり「神」を指す言葉です。
(厳密には「神仙」は天と地を奉斎する「仙」すなわち雲の上に棲む「仙人」のことで「人」なのですが,民から見れば(仲介してくれる)「人であり神」なのです)

実は泰山で「帝」となるための「封禅の儀」を執り行っていたのがこの神仙(の子孫)と言われているのですが,
秦の始皇帝が全国制覇して「帝」となるべく「封禅の儀」を行うべく泰山に行ったが,
「封禅の儀」を執り行っていた者たちはどこかに去った後だったと言います。
それで仕方なく自己流で「封禅の儀」をでっちあげ,「帝」と「皇」をくっつけて「皇帝」と名乗りましたが,
それに正統性などなくわずか十数年で秦帝国は滅びました。

ところで秦の始皇帝と言えば「徐福」に東の海の向こうの「蓬莱山(日本」)に行かせた話が必ず出てきますが,
本当はこの話の前に有名な逸話があり,秦の始皇帝が山東半島の琅邪(ろうや)にきたとき「安期生」という神仙に会い
その話に感じ入って財物を渡すと,安期生は「蓬莱山に行ってるからお前も後から来い」と言い残し財物をそのままに去ってしまったといいます。(それが道教の方士の徐福に行かせる話につながります)

「東王父」といい「安期生」といい「東の海の向こうに神仙の王が統べる島国がある」というのは古代中国では常識的な伝説だったのです。

そして私は「かつて神仙と呼ばれた人々」が「本当に日本列島にやって来た」可能性は高いと思っています。
縄文人は当時から大陸と通交していましたから,帰りの船に乗せてもらうだけで行けます。
徐福も勿体付けてますが(最初の航海は)縄文人に乗せてもらったと思ってます。

「なぜか天皇が古くから日本で一目置かれた」のはそこにこそ「理由」があるのではと考えています。