>>711
わざと歪曲したのか勘違いなのかわからんが間違いを指摘しておく

「筑前地域のまとめ
IA期に伝統的V様式甕, IB期に庄内甕, IIA期に布留甕が,大和と同じ順序で導入される。大和
で庄内甕が出現する以前に伝統的V様式甕が,大和で布留甕が出現する以前に庄内甕が比恵・那珂遺
跡群に導入されたのであろう。しかしながら,伝統的V様式甕の導入・在地での受容は点的で,以後
の庄内・布留甕とは違った導入のあり方を示す。」

「筑前では,畿内型甕は今川遺跡,博多遺跡,西新町遺跡のような海岸部と,比恵・那珂遺跡群,三
雲遺跡のような内陸の拠点に集まる傾向が強い。前者は「津」としての機能の強い集落であり,多々
良込田遺跡もこれに含めてよかろう。これらの遺跡での畿内型甕は,商業的流通の結果もたらされた
と考えたい。それに対して,比恵・那珂遺跡群と三雲遺跡は,付近の前期前方後円墳の存在も考慮に
入れると,大和の最高首長との交流を背景にもたらされたと考えたい。特に庄内・布留甕の多い比
恵・那珂遺跡群では,畿内から人(土器製作者)が移住してきた可能性もある。また,福岡平野にお
ける比恵・那珂遺跡群と博多遺跡の関係は,畿内における政治的拠点としての大和纒向遺跡と交易セ
ンターとしての中河内遺跡群との関係と共通する現象と考える。」

実際の論文

>その人によると畿内の土器が増えるのは布留式土器群が面で出るようになってからとのことなので
>そうすると編年から3世紀末から4世紀ごろになるな
>それ以前となると東海系や山陰系に交じって庄内式がポツポツと点状に存在してるだけらしい
>今言ってるのはそれが大和の政治と祭祀の影響下にあったかどうかってことだ
>元の論文ではその影響はなく単に土器の製作集団の流入だと予想してる

あんたの解釈

間違いを修正するとこうなる
@久住IB期の比恵・那珂遺跡群での庄内式土器の受容は点的ではなく、大量に搬入される
A比恵・那珂遺跡群と三雲遺跡での庄内式土器は商業的流通の結果ではなく、大和の最高首長との交流を背景にもたらされた
Bとくに比恵・那珂遺跡群へは畿内から人が移住してきた可能性がある
C福岡平野における比恵・那珂遺跡群は政治拠点(ここには記述がないが三雲遺跡も同じ)
D畿内系土器が北部九州の中枢部に大量に搬入される時期は久住IB期、つまり3世紀前半